2018年03月04日
川崎 献一師
ヨハネによる福音書10:22~42
聖書には、ユダヤ人とありますが、十(じっ)把(ぱ)一絡(ひとから)げに見てはいけません。本日のテキストの小見出しにあるユダヤ人とは、信仰体験がない人達です。ユダヤ教徒ではあっても、イエス様の教えを頑なに拒んでいます。その頑固さは半端ではありません。ある意味ではユダヤ教という宗教に洗脳されている見方も出来ます。人の自由を奪い洗脳する教えは危険です。更に社会的に問題を起こしたり、個人的にも苦しんでいる信者の脱会を認めない組織は宗教と称する犯罪集団の可能性もあります。当時のユダヤ教は犯罪集団ではないにせよ、差別社会を助長していた面はありました。ユダヤ人=ユダヤ教なので、公に宗教を批判することは憚(はばか)れます。イエス様から言わせれば「私の羊ではない」(26節)ということです。メシアとは救い主という意味ですが、イエス様は、その証しを立てておられ話し続けてきました。只、イエス様に疑いを持つユダヤ人たちが納得いくような内容ではありませんでした。律法学者たちにとっては、数年前に現れたばかりのイエス様の人気は妬ましくて許せないことです。只、イエス様の周りには弟子達がいて、更に多くの群衆の支持があります。人気がなければ、簡単に捕らえられた筈です。人気があるということは魅力がある証拠ですが、それは神の権威+真の愛がイエス様からは充分に感じられたからです。
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