2018年10月14日
川崎 献一師
マルコによる福音書6:30~44
約2000年前の聖書時代は、今の日本より生活レベルはかなり低かったことでしょう。そんな中でイエス様の弟子達は使徒として、神の教えを伝え病の癒しを方々の場所で行ってきました。イエス様への報告義務も行い、弟子たちは食事も出来ない忙しさだったので、人里離れた場所へ行くようにイエス様に言われました。と同時にイエス様と弟子達に対する「追っかけ」の人々がいました。その数は10人、20人ではありません。男だけで5000人と44節にあります。男性中心の社会だったので、大人の男のみを対象に数えたようです、更に、女、子どもを入れると1万人以上はいた筈です。イエス様も疲れておられたでしょうが、この人達を無視できませんでした。「飼い主のいない羊」なら「私が飼い主になろう」と思われたのでしょう。憐みの心で、更に教え始められました。イエス様の教えも大事ですが、群衆は空腹です。そこで35節、弟子たちがイエス様に切り出しました。教えは充分、話されたので、解散させて各々が食事をとればいいという弟子たちの本音には「早く、この場から解放されて自分たちも何か食べたい」とも読み取れます。37節のイエス様の御言葉に弟子達は驚きます。弟子達には、お金はありません。200デナリオンとは分かりやすく現代の日本円に換算すると200万円位でしょう。イエス様は、今まで様々な奇跡をされましたが、食べ物が増えるなんて奇跡は弟子達も考えていなかった筈です。
38節、イエス様は現状を確認されます。パンが全然ないわけでもないだろうと思われたのか、確かに0ではありませんでしたがが、パン5つと魚二匹です。これでは無いに等しい数字です。
続きを読む