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異邦人の信仰

2018 年11 月25日
川崎 献一師
マルコによる福音書7:24~30

神の時が来たら、イエス様は逃げ隠れせず、堂々と十字架に向かわれますが、まだ神の時は来ていません。その時はイエス様の弟子たちにも知らされておらず、イエス様のみが特別に神から教えられている時です。人として生まれたイエス様は、疲れておられました。罪深い地上は、イエス様が長くおられる所ではありません。イエス様の本来の居場所は清い天国だからです。イエス様は、孤独を好まれました。御一人になって父なる神との交わりに集中したいため、御自分の居場所を誰にも知られたくなかったのです。イエス様は、弟子たちからは尊敬され、群衆からの人気もあります。イエス様も全ての人を愛しておられますが、人には罪があるためイエス様の御心と人々の心は一致しません。心が通じ合わない人間関係は、疲れるものです。私達も出来るだけ多くの人と心を通わせ仲良くしたいと思っていても、現実は違います。本音と建前を使い分けて、気を遣ったり、人の意見に妥協したり、我慢したりストレスがたまります。罪だけはないという意味でイエス様は特別な方ですが、あとは私達と同じ人間だからこそ、イエス様は事あるごとに御一人になりたいのです。祈らなくても平気な罪人ではありません。父なる神とイエス様なら100%同じ御心で常に一致するため24時間、神に祈っていたいイエス様です。

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ナオミとルツ

2018年11月18日
川崎 献一師
ルツ記1:8~18

本日は、感謝祭・子どもと大人の合同礼拝でした。今、上町教会の教会学校(小学生中心)では毎週、旧約聖書のお話です。イエス様が産まれるずーっと前の時代です。でも、イエス様は人として生まれる前から私達人間のことを天国から見ておられるのです。イエス様は、神の子なので天国が本当の家だからです。今日の聖書に出てくるルツの子孫からイエス様は誕生されることに定められていたのです。

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悟りなさい

2018年11月11日
川崎 献一師
マルコによる福音書7:14~23

悟りとは仏教で、よく使われる言葉で「心の迷い」を取り去ることを意味します。キリスト教でも日本語訳されている「悟り」ですが、14節にイエス様が命令されています。イエス様は、物事の本質を見抜くことを勧めておられます。悟るためには、様々な人生経験が必要な上、よく考えることが大事です。只、長く生きて徒(いたずら)に時を過ごしていては悟れないでしょう。イエス様は、まだ30歳を過ぎたばかりで、現代日本では若者の年齢でしたが、神の子なので全てを悟っておられました。悟りとは知識があるだけではいけません。ファリサイ派や律法学者たちとの関わりの中でイエス様は一方的に「神の律法よりも人の言い伝えを優先する」彼らの誤りを指摘されました。本日の箇所で、イエス様は群衆に大胆に語られたのが15節です。ファリサイ派も悟っていなかったのに自分達を正しいと思っていたからこそ、偽善者でした。イエス様は更に群衆にも悟るように命令されました。15節の御言葉を側で聴いていた弟子たちも悟れなかったため、イエス様に愚問を投げかけています。

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素晴らしき楽園

2018年11月04日
川崎 献一師
コリントの信徒への手紙二12:1~12

本日のテーマは4節の楽園と7節の「素晴らしい」という言葉から付けました。これはパウロという人の実体験が書かれています。パウロは、元々はユダヤ教徒で当時の新興宗教・キリスト教の敵でした。クリスチャンを迫害することに熱心でしたが、イエス様の声を天から聴いた直後、3日間も盲目になり、断食までしました。その後、パウロは「目から鱗が落ちる」(この日本語は、パウロの経験が語源)ように価値観が変わりました。パウロはキリストと出会って、キリストを伝える神の器に造り変えられました。新しい人生を送るには体験が必要でしょう。

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