「気前のよい天の国」マタイによる福音書20章1-16節
2021年9月26日
担任教師 武石晃正
9月も最後の聖日を迎えました。2021年度は昨年に引き続き全世界的な感染症に悩まされ、また各々に置かれましても煩いや苦しみを覚えつつも、主の恵みによって生かされ守られたことと感謝をいたします。
文字通り「死の陰の谷」(詩23:4)と呼ばれるところから助け出された方もおられますし、今なお重ねての闘病の内におられる方も覚えます。癒し主であるイエス・キリストの御わざが速やかに現わされることを願い祈ります。
本日もそれぞれの場所で主日礼拝を守っておりますが、今年度は続けてマタイによる福音書を読み進めております。福音書では主イエス様が「天の国」について様々な角度からたとえを用いて説かれておりまして、朗読の箇所では天の国が気前のよいぶどう園の主人にたとえられています。
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担任教師 武石晃正
9月も最後の聖日を迎えました。2021年度は昨年に引き続き全世界的な感染症に悩まされ、また各々に置かれましても煩いや苦しみを覚えつつも、主の恵みによって生かされ守られたことと感謝をいたします。
文字通り「死の陰の谷」(詩23:4)と呼ばれるところから助け出された方もおられますし、今なお重ねての闘病の内におられる方も覚えます。癒し主であるイエス・キリストの御わざが速やかに現わされることを願い祈ります。
本日もそれぞれの場所で主日礼拝を守っておりますが、今年度は続けてマタイによる福音書を読み進めております。福音書では主イエス様が「天の国」について様々な角度からたとえを用いて説かれておりまして、朗読の箇所では天の国が気前のよいぶどう園の主人にたとえられています。
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