預言の成就
人の言葉には絶対性はありません。キリスト教の言とは、人ではなく神の御言葉のことです。そして、本日の「ことば」という漢字には「葉っぱ」の「葉」という字はありません。漢字一文字で「言」です。ギリシャ語では「ロゴス」神の言=神の意志なのです。葉という漢字が伴うと「枝葉」のような余計なことまで言ってしまう、それこそ揺れ動く人間的な言葉という意味になるでしょう。イエス様の言葉は、絶対的な神の意志による言葉でブレません。
本日はCS(チャーチスクール)で旧約聖書のイザヤ書とミカ書から子ども達へメッセージされました。旧約時代の預言が成就されたことを証しするために、先にヨハネが語り、そしてイエス様が現れ、具体的に人となられた神とは「こんな方」と示されたのです。人間的には、ヨハネはイエス様の親戚です。それを超えた意味でイエス様は神によって生まれた方なのです。マリアの息子ではあっても、夫ヨセフの子ではない「嘘のような本当の話」です。イエス様は聖霊なる神によって生まれられたのです。神が肉体を持たれ、人間の世界に生まれて下さったことをヨハネは告白しつつ、神の栄光を賛美しています。人間イエスとしては半年、早く生まれた筈のヨハネが「私よりも先におられた」と言ったのは、「イエスは神の子」、神の方が、人間より優れているのは当然です。聖書は、単純な信仰を勧めます。神は肉眼では見えません。じゃあ、イエス様を神として信じなさいと。イエス様は、見える人間となって下さいました。神の子でもあります。私達も信じたら神の子になれます。イエス様の人生には目的がありました。神なのに、人のように死ぬことです。それも痛々しい十字架刑です。神の預言の成就に感謝して、教会では毎月、第一主日(日曜日)に聖餐式も行っています。