断食の意義
聖書では、断食を肯定しています。但し、誤った心の動機で断食する人々が多いことも記しています。洗礼者ヨハネの弟子達もファリサイ派も断食は行っていました。ユダヤ教の律法というより伝統的な習慣に断食があったのです。断食が伴う正しい信仰姿勢とは、神の前で遜る献身、神以上に大事なものはない食事の時間まで神に献げて祈りますという信仰告白です。また、神と共に苦しむこと、イエス様が十字架に掛けられるのに、自分だけが食事をとって楽しむのは申し訳ないという意味もあります。それは本日の20節に繋がります。更に隣人が苦しんでいる時も断食してでも神の助けを信じて祈りたいと導かれることもあります。つまり、断食自体の行いに意味があるというよりも断食を行う心の動機が神の御心に適うか問われます。勿論、人は食べなければ生きていけません。食事は神からの賜物です。心から感謝して美味しい料理を食べることを神は喜ばれます。食事も体への栄養バランスを考えるように、信仰生活にもバランスが求められます。本日、イエス様の弟子達が断食をしないことを批判している人々は、当時の宗教には断食は欠かせない意識があったのです。それなのにイエス様の弟子達が断食しているのを見たことがないため違和感を持ちました。
イエス様の到来は、喜びです。それを婚礼という結婚式の祝会(披露宴)にも例えておられます。イエス様ご自身が花婿です。花嫁が誰かは後からはっきりしますが、イエス様を信じる人々、つまり現代にまで至る教会のことです。イエス様が共におられる時に断食という苦しみの行為は不要です。時々、断食をするクリスチャンが、クリスマスやイースターにまで断食をしたらどうでしょうか?福音の喜びを否定することになります。
断食をするのには、神に示された時があるのです。教会暦で言えばレント(「主の十字架を深く想う期間」位は、大好きな食事を自粛しようと導かれます。肉が好きな人は、肉を断ち、酒が好きな人は断酒するなど、部分断食も含めやり方は各々あります。断食が時代遅れというのは、短絡的な考えでしょう。聖書は、時代に縛られたり、流されたりする書物ではありません。時代によって断食者の人口の増減はあっても、永遠なる神の御言葉です。イエス様ご自身も断食自体を否定されてはいません。只、日本を始め、この物質豊かな先進国では、断食をする人が昔よりは激減しています。また世界には飢饉で苦しんでいる人々も多くいます。世界に食物が不足しているわけではありません。いわゆる発展途上国の人達にまで食糧が適切に調達されていないのです。この現実を情報として知っても、何も出来ない弱さが私達にはあります。また、クリスチャン以外の人でも、様々な動機から断食をする人々もいます。20節の花婿が奪い取られる時とは、主の十字架を意味しています。その日にはイエス様の弟子達は、食事どころではない辛さから断食へと導かれるのです。
イエス様は、断食問答の後、「新しさと古さ」について例え話をされました。イエス様の到来は、神との新しい契約の時代です。ファリサイ派のように律法を行うことで正しいと認められる考えを古い服に例えています。古い教え、断食も苦行として神に認められるという考えを捨てるべきです。つまり、律法による神の裁きはイエス様が十字架上で引き受けて下さったのです。それを福音と呼んでいます。私達、古い自分に戻りたがる罪人です。罪人ゆえに断食を神から迫られる人もいるでしょう。地上は罪深く、各々のクリスチャンにも断食すべき暗い出来事は、試練としてあるでしょうから。清い天国には、断食はありません。新しくされることを「キリストを着る」と表現することもあります。古い自己中心の考えを持ちつつ、その上から新しい価値観で生きようとすれば、矛盾が生じます。御言葉に従わないクリスチャンは、未だに古い価値観を保っています。 21節が衣服のことなら、22節はぶどう酒で例えておられます。教会では聖餐式で使われるぶどうジュースをぶどう酒に見立てて、信者は新しく生かされることを確認します。このぶどう酒はイエス様が十字架上で流された血を表わしますから、新しい革袋、つまり、神の御言葉を素直に受け入れる心の状態を常に祈り求めるのです。素直ではないと屁理屈を持つ人が出てきます。ぶどう酒つまりワインは、古い程おいしい酒、何十年も熟成させたワインの方が価値があり、値段も高いからです。
この古さ、新しさを対比する考えに神は知恵を与えてくださっています。それは、聖書は新しいイエス様の教えといっても約2000年前です。この世的に見たら、あまりにも古過ぎます。目まぐるしく変わる世の価値観の方が魅力的に感じられます。時代に合わせる生き方こそ賢いと思う人も多いでしょう。でも、流行り物は字の如く「流行」に過ぎません。つまり、真理を知らずに流されたままなら、滅びに向かっています。聖書は、人類の歴史学的には確かに古くても、人の魂を新しくさせる力があるのです。永遠のベストセラーです。私達は、食事を摂る時も、時には断食することがあっても、全て神の祝福の内にあることを信じましょう。