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神癒の恵み

2018年06月17日
川崎 献一師
使徒言行録5:12~16

四重の福音の3つ目は、最も人気があるテーマです。ここも神の御心と人の思いの違いが示されます。神の視点では、新生されて神と共に歩む人生が始まり、その救いから零(こぼ)れないために聖化の必要性が説かれています。一方、人の関心は癒しでしょう。「癒し」を辞書で調べたら「病気、傷などを治すこと。また、不安や悩みを解消すること」とありました。これは、どの時代でも変わらない人の求めでしょう。上町教会では、普段はマルコによる福音者から講解説教していますが、イエス様に会いに来る人々の目的の殆どが病の癒しです。現代は、医学が発達し、病気の治療は、宗教よりも病院でしょう。勿論、精神的なことは宗教に頼る人もいますが、根本的な癒しは神がなさることです。それで、一般的には聞かれない神癒という言葉を教会では使います。

神癒と言えば、イエス様ご自身による奇跡を連想する人も多いでしょうが、本日のテキストではイエス様ではなく使徒たちの奇跡です。使徒とは、単なる弟子ではありません。この世に神の愛を伝道するために遣わされた者です。その働きの一環として、イエス様を倣って神癒も行っていました。当時、如何に病人が多く、その需要に応える必要があるか、聖書が語っています。イエス様は昇天されて見えない方になりました。残された使徒たちがイエス様の代わりの働きをしています。使徒たちと言っても、罪人ですが、その罪人を用いて神癒が行われたのです。勿論、イエス様の御名によってなされたことです。つまり、神癒の主体は聖霊なる神です。元々、使徒たちには神癒の力はありませんが、神の器、道具として使徒たちの手を神が用いて下さったのです。

神癒の力から、信者の数が増えるという現象を「御利益信仰」と批判することは簡単です。でも、疑うことなく純粋に求める幼子のような信仰でもあります。教会も病院のような働き、牧師や信徒が医者や看護師のような働きをも同時に行えたら、教会には多く人が集まり、更に洗礼を受けて信者が産み出されるような気がしませんか?当時は、医学もなく、病院もありません。使徒たちは、伝道と共に医者の働きも神から任されていたのです。その御業は即行です。人数が多過ぎるので瞬時に次々と癒されていきます。 中には使徒の代表ペトロが 通りかかり、その影だけでも病人にかかるようにするだけで癒されるとは正に神業です。今では、信じられない話です。そして、人の力ではなく神の力を受けた者が用いられたという意味で「神癒」と言います。最後の「1人残らず癒してもらった」ということは、本気で癒しを求めた人は、必ず癒されることを証ししています。現代人は「今では、無理な話」と思う人が多いかも知れません。

最近、隠退された牧師(69才)が末期癌です。クリスチャン達は神癒を信じて祈っています。もし、病が治らなくて召天したら、神癒はなかったということになるのか?いや、既に魂の癒しはあったのです。肉体や精神的癒しも必要でしょうし、それを求める人は多いでしょうが、魂の救い、罪の赦しこそ究極の神癒です。そういう意味では新生の恵みに立ち帰って感謝すべきでしょう。勿論、究極ではなくても、日々の生活で心身共に健康であることに越したことはないので、神は必要に応じて私達を癒して下さいます。今、病の人や心が不安定な人も主イエスの御名によって神癒を祈り求めましょう。

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