ホーリースター(ホーリネス誌 7月号の記事)
日本基督教団の中にホーリネスの群があります。毎月、ホーリネス誌が発行されています。7月号に私の記事も掲載されましたが、原文と多少違う表現になっています。編集部の方から前もって「趣旨を変えずに修正することもあります」と聞いていますので、編集された文の掲載を受け入れてはいます。 只、この表現は変えてほしくなかったという面もあるので、このホームページの場を借りて「原文はこうです」と表記してみました。
川崎 献一師5月に大スターの訃報(享年63)を聞いて驚いた。彼以上の大スターが40年前、テレビで「片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を♪」と美声で絶唱していた。この中性的で気障な歌手に私は魅了された。その10年後「いつか芸能界で売れてやる」という自分がいた。この1988年は新生・ホ群として再出発した年でもあったが、私は関係なく生きていた。ホ群の存在も知らず、父が牧する世真留教会(愛知県)からも離れ、気楽なマンション生活と酒、煙草、スポーツカーを私のファッション・シンボルにしていた。
よく聖書では「神の栄光のために」というが、私は自分の栄光を求めていた。チヤホヤされる喜びを身近に経験したことが、不遜にも全国的な人気者になりたいという錯覚にかられた。私は手先が不器用だし、地道な仕事よりも緊張はしても人前で思い切って歌い、演じ、話す方が性分に合っている。3代目の牧師家庭に生まれた私だが、神は私の自由を一定期間、認めてくださった。この世に倣う古い自分の全盛期?の時代があった。
だが、その10年後、私は献身していた。この間、何があったのか? 神の予定は、計り知れない。神は私に必要な試練を与えた。世俗のスターへの道という妄想が砕かれ、自己満足だけの人生は虚しく、神に委ねようと思い始めた。スターとは日本語では星。幼子イエスに会いに行った学者たちのように神による星の導きによって新しい人生が始まった。「主イエスは、自分の罪のために死なれた」という知識だけでは到底わからない。ホーリネス信仰では体験を重んじる。神の愛と聖は、罪深い自我が砕かれる体験から実感できる。そして、東京聖書学校に入り、きよめの恵みを学んだ。
私は10年前、宮崎県で前述の歌手のコンサートを観に行った。全盛期に比べ見劣りは否めない彼だが、60才になってもパワフルであった。今年70才になる彼も自分の栄光の限界を認め、神の栄光を知ってほしい。私は、彼への憧れを捨てて主イエスの似姿へと聖書から勧められている。永遠のスーパーいやホーリースターはイエス・キリストである。
今、伝道者18年目の私は説教者として講壇に立つ。そんなに大勢の人前ではない。だが、「片手にバイブル、心にキリスト、唇にゴスペル、背中に十字架を♪」という賛美姿勢でいる。愛の内容もエロース(恋)ではなく、アガペー(神の愛)に最高の価値を持つ。 「変えられて良かったか?」と問われたら「勿論です」と言える。日々の古い自分との戦いを聖霊によって刷新され、主の再臨or自分の召天のための終活に備えている。