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湖上歩行

2018年10月21日
川崎 献一師
マルコによる福音書6:45~56

イエス様は、奇跡の給食の後、弟子達を強いて船に乗せたとあります。神の意図があったのです。それが本日のテーマです。「弟子達は、主は船には乗らないのか?」と思ったかも知れません。イエス様は、その後、山に行かれました。神に祈るためです。イエス様は、神との交わりが大好きなのです。私達もイエス様を見倣って絶えず、神に祈っているでしょうか?人間イエスとしては、本日の奇跡を行う前に、神に祈って力を受ける必要があったのでしょう。この奇跡は、普通の人には出来ません。時間が経って、夕刻になりました。船が湖の真ん中に出ていたということは、陸地におられるイエス様は、すぐには弟子達とは会えません。泳いで弟子達に会いに行かれる考えもありません。神は逆風を送られました。弟子達は、夜中に船に乗せられたままで、漕ぐのに困難を覚えています。夕方から夜明けまで、弟子達は長時間も船に乗っています。これは、イエス様の姿がなくても、いずれ独り立ちをすべき弟子達への神からの訓練です。そこにイエス様が現れたのです。別の船に乗って来たのでしょうか?それとも、必死の形相で弟子達を助けるために泳いで来られたとも書いてありません。何と、湖の上を歩いておられたのです。そして、すぐ弟子達の所へは来なくて通り過ぎようとされました。これを見て、弟子達は「幽霊だ」と思い叫んだことに対し、さすがにイエス様は反応されました。

一般的に幽霊とは足がないイメージではないでしょうか?イエス様は、湖上を歩いておられるのなら足はある筈です。只、弟子達にとっては初めて見る光景です。それもその筈、人が湖上というより水の上を歩ける筈はありません。湖上歩行中のイエス様を怖くて凝視も出来ずに思わず「幽霊」という迷信的な言葉が弟子達から飛び出したのでしょう。神の作品の中で、水上を歩く生物にはアメンボがいます。カワグモとも呼ばれる足が長い昆虫です。雨が降った後に出来る水たまりで見かけることもあります。子どもの頃は、興味を持って見ていたこともありますが、大人になったら話題にもしません。見ても無視です。神は様々な生物を造られました。例えば、空を飛ぶ生き物としては、鳥や虫、コウモリがいます。只、人間は空も飛べないし、水上など歩くけません。しかし、人間には他の生物にはない特殊な知恵が与えられています。飛行機を大勢の人で造って、それに乗って空を飛んだり、水上の場合もサーフィンや水上スキーなどもあります。これは直接的に人間の体だけでは空を飛んだり、水上を歩けないだけで道具を使えば、鳥よりも高く飛べ、速度も全然違います。ロケットに乗れば宇宙空間までも行けます。また、水上スキーの馬力も凄くて、アメンボなど圧倒します。勿論、聖書時代には、そんな物は造られていませんが、技術の向上で同じ人類が未来には、様々なものを創り出しています。イエス様の時代(約2000年前)に、インターネットや携帯電話の普及、また高層ビル、遊園地、巨大な競技場や店舗等の建設など誰も予想できなかったことです。それでも、人間の力は有限です。水上スキー等の機会の力に頼らず、直接、湖上歩行が出来る人は存在しません。CGを使って映像の中で、湖上歩行したとしても、そう見せかけているだけの錯覚の世界です。

本日のテキストは、イエス様が全知全能の神の子だという真実の強調です。イエス様は、単なる人間、預言者ではなかったのです。奇跡とは常識では考えられない出来事です。日常では滅多に起きないことが起きて奇跡と思われますが、イエス様は3年間の限られた公生涯の中で、奇跡を連発されています。人の体に手を当てただけで病が癒されることも奇跡です。

神は大自然の世界から、人の体の内部までも支配なさっています。その神を信じているのが私達クリスチャンです。その神の子イエス様と共に生活してイエス様の奇跡まで直接、見られたのが当時の弟子達なのです。イエス様が船に乗り込まれると、それを見計らったように風は静まりました。みな、父なる神の操作です。湖上歩行が出来るなんて人間業ではないという意味で、弟子達は驚いています。それも心の中でということは、言葉を失っているのです。それは先週の奇跡の給食の出来事への理解がないからです。奇跡の給食を体験したら、本日の湖上歩行も有り得ると信じるべきです。湖上歩行のイエス様の姿を見て「幽霊!」と叫ぶ的外れの弟子たちは「心が鈍い」と言われています。

私達の周りには、奇跡は中々、起きません。しかし、よく考えてみると人間に限らず、あらゆる動物の命の誕生から神の奇跡は起きています。命の誕生は偶然ではなく、神の御業です。また罪人として生まれた者が神と出会って罪が赦され、魂が罪から救われていることも奇跡です。そして、聖書を信じられないと思っていた者が、今では奇跡も含めて、全て聖書は神の御言葉と信じられていることも聖霊の力による奇跡です。一番の奇跡は、イエス様の死からの復活です。復活の奇跡は、信者のためにあったのです。「未信者」は、未来における信者です。いつか必ず信じられるようにと私達は祈ります。そして、死で終わらない「復活&永遠の命」の約束の希望に喜びの根拠を持ちます。皆さん、最寄りの教会へ行きましょう。

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