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永遠の命

2019年03月17日
川崎 献一師
マルコによる福音書10:17~31

本日の登場する金持ちには、満たされない思いがありました。それが本日のテーマです。この永遠の命のことは、律法には書かれていません。それでファリサイ派に対立するサドカイ派は永遠の命自体を信じていませんでした。現実的な人生の歩み方としての律法解釈だったのです。クリスチャンの中でも社会活動家は、具体的な生活の中で「自分達に何が出来るか」を課題として取り組んでいます。先週のテーマ「神の国」のこともイエス様が24節で言われています。それも、死後の神の国を意識するよりも、社会の中で正しく生きることが、神の国に入る者として相応しいと思っています。

金持ちは、あと自分に必要な物は「永遠の命」だけと思っていますが、物質的ではないため漠然とした希望です。イエス様の評判を聞いて「善い先生」と言って跪(ひざまず)きました。イエス様は、確かに「善い先生」ですが、御自分を誇ったりはなさいません。天の神こそ「善い方」と言われ、常に父なる神に栄光を帰します。そして、イエス様は律法の中心である十戒の後半部分のことを言われました。男は、子どもの頃から父母を敬って律法を守ってきたからこそ、金持ちに神がならせてくださったという信仰があったことでしょう。21節、イエス様は彼を叱らずに、むしろ慈しんでおられます。「律法を守ることは結構だが、あなたは肝心な愛に欠けている」と仰りたいのです。せっかく、律法を守る真面目な人だけに惜しい。でも、持ち物を貧しい人々には施せないことをイエス様は御存知でした。本日のテーマを言い換えると「天に富を積む」ということです。天国銀行に貯金することは霊的な事柄なので、地上の物質的なものは潔く手放し、愛する隣人のために使いなさいと言われています。22節、男は永遠の命を受け継ぐために、喜んで財産を売り払う決意をしたでしょうか?答えはNOです。本音としては財産を自分の手元に残したまま、永遠の命を受け継ぎたかったのです。この残念な男の反応から、神の国に入ることの難しさを弟子達に告げられました。弟子達は、なぜ驚いたか?それこそ、財産は信仰のバロメーターとして神に祝福されているか否かと多くのユダヤ人が思っていたからです。しかし、神の視点では、金持ちのまま天国へ行くことは難しいのです。金持ちであっても、イエス様の御言葉に従って、貧しい人に施せば可能であり、手元に財産がない時点で金持ちではなくなっています。でも、元・金持ち、今は貧乏人にはなりたくないでしょう。

イエス様の例え話は、極論に聞こえます。「ラクダが針の穴を通る」とは実現不可能なことです。弟子達は更に驚き「誰も救われないのでは?」という現実には落胆しかありません。イエス様は、だからこそ神に頼れと仰っています。自力では誰も救われないことが真実であり、信仰の奥義なのです。全知全能の神は、大きなラクダを小さな針の穴に通すことも出来ます。そして、金持ちの心を造り変えることも出来ます。お金が全てだという価値観を持つ者が聖書の教えを聞いたとします。勿論、すぐには従えなくとも「永遠の命を受け継がせて下さい。そのために持ち物を売り払えというなら、そうできる決断をさせて下さい」と祈り続けるのです。勿論、形だけの祈りではいけません。しかし、本気で祈れ求めれば、地上の財産などなくても罪が赦されて永遠の命を受けることの喜びの方が上回るのです。それこそ、天に富を積む信仰「永遠の財産」です。

献身とは、今までの価値観を捨てることです。イエス様は、天国に住んでおられた身分を捨てて世に来られました。更に、地上の命をも十字架上で捨てようとされています。捨てることなしに献身は有り得ないことをイエス様は身を持って実行されました。そのイエス様に倣って捨てるものが、自分にとって大事な物、聖書では家、家族、土地(畑)と当時の財産と幸せな居場所を指しています。それらをイエス様のために捨てられる人が弟子です。現代では、狭い意味としては牧師や伝道者などの献身者です。更に広い意味ではクリスチャン全体としても相応しい姿勢なのです。福音のためとはイエス様の十字架と復活があって与えられるグッドニュースです。十字架と復活を抜きにすると、骨抜きの信仰です。只、日々を楽しく平和に過ごせたらいいという生温い信仰になります。30節で、イエス様は約束されています。生温くはない信仰から大胆に福音を伝えることをすれば迫害を受けることも覚悟すべきです。しかし、財産も100倍受けることには困惑する人も出るかも知れません。この場に及んで、地上の財産が与えられるなんてと思う場合です。韓国の多くの教会は、その地上での祝福をも証ししています。神を正しく礼拝して、福音伝道も熱心であるが故に教勢が伸びる(礼拝出席する人が増えている)教会も多いのです。信者の個人的収入も増えれば、神への感謝献金額も増すという理想的な話が実現して神の栄光が現れるのです。勿論、もっと大事なことは、後の世での永遠の命です。地上の一時的な命から繋がって神の命が与えられるからです。

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