「キリストとの再会」ヨハネによる福音書21章1-14節

2020年4月26日
担任教師 武石晃正

 この4月に宇都宮上町教会に着任いたしました、担任教師の武石晃正と申します。生まれ育ちは東北地方の仙台市です。東京聖書学校での研修を経まして、昨年度はこの3月まで赤羽教会の担任教師としてお仕えしていました。
 今回は緊急事態宣言を受けて、初めてのオンライン配信を併用した公の礼拝をお献げしております。画面越しには初めてお目にかかる方もおられるかも知れません。礼拝堂にいらしている方々とも、これらの対応に追われて普段なかなかゆっくりお話する機会もありませんでした。
 本日は前半部分で自己紹介を兼ねたお証しをさせていただきつつ、追って後半はみことばの取り扱いへと移ります。限られたお時間ですので、まずは「救いの証し」「献身の証し」「教会の教師となっての証し」と3つの点でお証しいたします。

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<救いの証し>
 まずは救いの証しです。
 山を切り崩し谷を埋めて作られた田舎の住宅地、そこへ背の高い外国人の夫妻が引っ越してきたのは、私が小学6年生の春のことでした。「ガイジンと知り合いになれたら友だちに自慢できるかな」という期待もあって、招かれるまま日曜日にその家へ弟と2人で遊びに行きました。そこはアメリカ人宣教師のご自宅でした。数名の大人が集まっており、とても丁寧に迎えていただきました。初めて触る聖書の重みと、普通の日本語で書かれていることに驚きと親しみやすさを覚えました。その後は習い事や家の用事がないときだけ日曜日の礼拝に出るようになりました。
 イエス様を信じれば救われますと教えられ、どうせ信じるなら本物の神様を信じたいと素直に受け入れました。同時に、キリストを信じれば救われるのはよいけれど、家族の中で自分だけ救われてよいのだろうかと戸惑いもありました。同居していた優しい祖父母をも裏切るようなうしろめたさもありました。
 ある土曜日に開かれた特別伝道集会で、講師の先生より「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と聖書のことばが力強く語られました。このことばが私の心にスッと入ってきたのです。「自分だけ救われるなら家族を裏切ることになるけれど、家族をも救ってくださるなら信じても大丈夫だ!」と。今すぐではなくとも、必ず神様が救ってくださると信じました。
 このことを両親に話すと、「無事に志望校へ入り、1年間様子を見てから」という条件で父も洗礼を受けることを赦してくれました。その後、約束通り私が高校1年を終える3月に弟と二人で洗礼を受けました。
 何年か経ち、小さな伝道所は宣教師が定年を迎えて帰国したことにより解散しました。この頃には母が平日の集会に出るようになっており、知人と一緒に移った先の教会で礼拝に出席するようにもなりました。やがて洗礼の恵みに与りました。その送り迎えをしていた父も数年後に導かれ、洗礼を授かりました。この両親の祈りによって、今から10年ほど前に他界した祖父も生前にイエス・キリストの救いに与り、病床でしたが洗礼を授けていただきました。祖母は昨年98歳で召されましたが、その2年ほど前に仙台の牧師先生が導いてくださり受洗したと聞いています。こうして聖書のことばのとおり、私も私の家族をも救ってくださった主イエス様に感謝します。

<献身の証し>
 続いて献身の証しです。
 ところで、私が当時おりました教会では信徒説教者が認められていました。ですから宣教師が一時帰国で不在となる期間は、特定の信徒が講壇を守ることがありました。退職でアメリカへ帰国されてからは代務の先生が月2回きてくださいましたが、残りは教会員の持ち回りです。私も弟も隔月ぐらいの頻度で講壇に立つことになりました。大人になったらいずれは自分もやるものだと思っていましたから、大変なりにも抵抗はありませんでした。
 伝道所の解散後、私は職場が近いことから仙台の市街地にあった教会へ移りました。そこでも役員が毎週交替で礼拝説教の奉仕を担っており、翌年にはその一人となっていました。しかし説教者としての召命を意識が強められるにつれ、真似事だけでは説教は続けられないと感じるようになりました。
 そして献身の思いを新たに神学校へ入学、4年後に卒業、所属教会の牧師として招聘を受けました。これまでの説教という務めに加えて聖礼典の執行という大切な働きを主からお預かりいたしました。謝儀はほとんど出せないので平日は内装工や古物商などの生業を持ちながら、その後も何年間か2,3の教会に携わることになりました。
 そして今から8年ほど前に当時の家族の都合により、仙台青葉荘教会へ転入会いたしました。日本基督教団の規定に従って3年後から、牧師を目指すための教師検定試験の受験が始まりました。そこから更に3年間を経てなんとか全科目を修了させていただき、昨年4月には新任の教師として赤羽教会に迎えていただきました。もっぱら説教に勤しむようにとの准允の恵みに与りまして、事実その通りにみことばの奉仕に励む機会を与えていただきました。

<教会の教師となって>
 3つ目は教会の教師となっての証しです。
 教師として教会でお仕えするようになって、説教に専念できる場を与えていただいたことが一番の幸せだと思っています。かつては職業を持っていたために、祈りと御言葉に専念できないまま礼拝で神様の前に立たなければなりませんでした。長年そのように行ってきたので負うべき重荷だと受け入れていたつもりでしたが、無意識の下ではそのことが何より辛かったのだと思います。今でも十分な備えをした説教かと聞かれると胸を張るには及びませんが、主の教会の為だけに生活があるということが本当の意味での献身であることを味わい知らされているところです。
 宇都宮上町教会は日本基督教団の中でもホーリネスの群に属する教会です。その特色教理は四重の福音、4つの恵み「新生、聖化、神癒、再臨」に生きることです。この4つのうち新生・聖化・再臨の3つは福音派の教会に仕えていた頃にもよく教えられていました。けれども神癒についてはほとんど聞いたこともありませんでした。東京聖書学校での研修期間と、特にその後1年間の赤羽教会での歩みにおいて、学びの中で示されただけでなく自分自身の課題として取り扱われてきました。
 知らないものを求めることもできませんし、求めていないものを受け取ることはできません。「癒しを求めない者は癒しの恵みを受けることができない」、言ってしまえば当たり前のようなことです。みことばへの取り組みと同時に、自分が多くの癒しを必要としているということに気づかされたのは幸いです。
 こうして自分自身の弱さに気づき、主の癒しの恵みを求め経験することで、人々の必要を覚えて祈る思いが強められてきたように感じています。

 お証しとしては以上ですが、新任地かつ図らずも初めてのインターネット配信による礼拝ですので、抱負あるいは願いを2つほど述べて終わりにいたします。まず一つは聖なる公同の教会として公の礼拝を守り、福音宣教に励むことです。当たり前のことかも知れませんが、自分の“ものさし”が何であるのか明らかにしました。もう一つは、魂の底から癒してくださる主の慈しみ深さを自ら味わい、その恵みを身をもって表すことができる者とならせていただきたいということです。
 今日はこのように場所は違えども同じ時間に、みな一つの聖書箇所を一緒に開かせていただいています。このことは数日前までは私たちの教会では考えられなかったことだと思います。多少の不便はありますが、皆さんとともにこのような恵みを受けることができる幸いを感謝しています。

<説教>「キリストとの再会」
 さて今日の聖書の箇所はヨハネによる福音書21章です。イエス様の十字架の死と3日目の復活の後日談のように書かれています。その後(1)とありますが、どれほどの後であるかは定かでありません。
 マタイによる福音書を読みますと、復活の朝早くに墓へやってきたマグダラのマリアたちにイエス様が一度お姿を示されています。その時マリアたちに、「行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」(マタイ28:10)という伝言を委ねました。先ほどティベリアスという地名が出ておりましたが、これはガリラヤ湖畔の町の名前です。実にマリアたちを通して伝えられた約束が叶った場面であると言えます。
 一方、イエス様は復活の日の夕方に弟子たちに現れており(ヨハネ20:19)、更にその翌週にもトマスのために再び現れてくださいました(同26)。この時はまだユダヤ人を恐れて外出できなかったわけですので、弟子たちはエルサレムに潜伏していました。ガリラヤへ行けとは伝えたものの、それが叶わない事情もイエス様は汲んでくださったのでしょう。
 主の十字架と葬りは「特別の安息日」(19:31)の前日でした。ユダヤの暦は新月に始まり新月に終わりますので、満月を迎える時期です。つまりの前後の数日は月明かりで夜中になっても戸外は明るいのです。月が十分に欠けるまで、弟子たちは逃げ出す機会をじっと待っていたことでしょう。
 ガリラヤまで逃げてしまえば締めたものです。それでもイエス様にお会いするまでは何とか生き延びなければなりません。ペトロは自分は勿論のこと、一緒に逃れてきた仲間たちにも食べさせていくために再び漁師稼業に身を置くことにしました(3)。

 ところが威勢よく湖に舟を出したのまでは良かったものの、その晩はさっぱり魚が捕れません。「なぁ、ペトロ。お前、3年以上も陸に上がってたから腕落ちたんじゃないか」「お前たち素人がガタガタやってるから魚が逃げたんだろう」こんなやりとりがあったかどうか分かりませんが、明け方になって舟を陸に向かわせます。その岸辺に立って彼らを待っておられたのがイエス様だったのですが、どうやらも弟子たちにはその姿がよく見えていなかったようですね。
 もちろん夜明け前ですから、まさかこんな時間に来られるとは思わなかったというのも分かります。朝まだ薄暗くてお顔がよく見えなかったからなのか、理由はよく分かりません。彼らの心の中を占めていたのは、一晩中働いても徒労に終わったことと、腹ペコで陸に上がっても手元には食べる魚が一匹もないということでした。

 弟子たちはイエス様を待ち望んでいたはずです。漁に出るのもに一時しのぎに過ぎないのです。けれども、ペトロをはじめ弟子たちは、目先の仕事やその報いのことで心が奪われてしまったようにも見受けられます。すぐに気づいて「主だ」(7)と言った者もありますし、時に目の前におられてもイエス様に気づかないこともあるわけです。身につまされる思いがいたします。
 主は彼らと同じところに戻って来られました。「あるじの顔を忘れたか!」などと厳しいことはおっしゃらず、彼らの必要を満たすために網が破れるほどの魚を取らせてくださいました。4月はじめの湖の上、網を投げるたびにしぶきがかかれば真冬のように体は凍えることでしょう。ましてや湖に飛び込んだ者までいる始末。なんとイエス様は暖を取るにも魚を焼くにもいいようにと、あらかじめ炭火を起こして待っておられたのです。
 全ての必要を知っておられ、具体的に身を案じてくださるイエス様のご愛を覚えます。

 キリストとの再会という題をつけましたが、私はイエス様に再会したのではなく、主はずっと私のそばにいてくださいました。いつでも主が傍にいてくださるということに気づかず、何年も何年もがむしゃらに道を求めていたような気がいたします。主を求めようという思いや、お役に立とうとする自分の働きに頼っていたわけです。危うく私はキリストのお姿を見失うところでした。
 もし私たちがイエス様を見失うようなことがあるならば、その時にはイエス様が愛しておられる方々をも見えなくなることでしょう。家族のことが見えなくなっていたり、教会の交わりが見えなったりするかもしれません。キリストが私のことを愛してくださっているということさえ、自分自身でも見落としてしまうことだってあるのです。
 今日の箇所の最後には「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これで三度目である」(14)と書かれています。弟子たちが気づくまで何度でも現れてくださるイエス様です。私たちも時にイエス様が見えなくなってしまうことがあるかもしれませんが、その度に気づせていただきましょう。
 そして何度でも再開の恵みを喜ぶことを、主は赦してくださるでしょう。祈ります。

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