神の国
今週は、創世記の講解説教を休み、月に一度は新約聖書から語ります。宇都宮上町教会の今月の暗唱聖句も含まれるテキストは、この世の終末への準備を勧めています。
現代のように時計もカレンダーもない時代は、自然界の動きから推察します。イスラエルの代表的な果物といえば、ぶどうといちじくでしょう。いちじくの葉が出ると、夏が近づいたと毎年の体験から言えるわけです。「まどろっこしいなあ。今は、いちいち外の様子など見なくても、四季の変化ぐらい、すぐわかる」と傲慢な思いはありませんか?確かに約2000年後の今は、デジタル文化時代です。デジタルの対比としてアナログという言葉もあります。パソコンからも聖書は読める今は、紙に活字が印刷された聖書もアナログです。しかし、当時は、聖書も巻物に記されていました。最近、世間で騒がれている「ポケモンGO」なんて物を当時の人々が知ったら、卒倒するでしょう。
生活の便利さを思うと、人類の進化の内容は、ここ100年で特に変わりました。コンピューターの開発力と速度は、目を見張るものがあります。宗教思想をナンセンスとし、無神論を助長させるような世俗の流れです。
森総理の時代に「日本は神の国」との失言がありました。今では東京オリンピックに関わる人ですが、約70年前の戦争(神風特攻隊)を美化するような発言でした。この神の国は、異教のため的外れ(罪)ですが、聖書は唯一の真の神の国を指します。それは、主イエスの到来自体がそうであり、その完成こそ世の終末に起きるというのです。
主は、自然界の流れに秩序があるように「時代を読みなさい」と言われています。最近では人間関係の中で協調性に欠ける人を「空気が読めない」と見下すような傾向もあります。空気を読むことも、世渡りとしては必要でしょうが、多くの人が神の御心を読めていません。
勿論、神の御心の全てを読めることはありませんが、与えられた聖書の御言葉から、今の時代を生かされましょう。この主の御言葉が滅びることは有り得ないからです。