「東方からの礼拝者」マタイによる福音書2章1-12節
2020年12月27日
担任教師 武石晃正
先週はクリスマス礼拝とクリスマスイヴの集いと2度にわたって主のご降誕を祝う礼拝を行うことができました。コロナ禍により集会等が制限されている国や地域がある中で、本日もまた共にイエス・キリストの恵みを覚えて礼拝できる幸いを感謝いたします。
クリスマスが終わり、今週から教会暦は降誕節に入りました。四旬節(受難節)までの8週間、キリストとはどなたであるのかを福音書を中心に思いめぐらせて参ります。本日はイエス様のお生まれからおよそ1年後の出来事についてマタイによる福音書から示されています。
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聖書朗読と説教は礼拝後にこちらへ公開します。
担任教師 武石晃正
先週はクリスマス礼拝とクリスマスイヴの集いと2度にわたって主のご降誕を祝う礼拝を行うことができました。コロナ禍により集会等が制限されている国や地域がある中で、本日もまた共にイエス・キリストの恵みを覚えて礼拝できる幸いを感謝いたします。
クリスマスが終わり、今週から教会暦は降誕節に入りました。四旬節(受難節)までの8週間、キリストとはどなたであるのかを福音書を中心に思いめぐらせて参ります。本日はイエス様のお生まれからおよそ1年後の出来事についてマタイによる福音書から示されています。
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1.ユダヤ人ではないユダヤの王(1-8節)
まず初めに時の権力者について書かれています。主イエスがお生まれになったのはヘロデ王の時代(1)だったと書かれております。このヘロデはヘロデ大王として知られており、紀元前40-4年に在位しました。この年代からイエス様のお生まれが紀元前4年か5年だと考えられています。王宮はエルサレムにあり、イエス様はそこから南へ約8㎞にあるベツレヘムにおられました。
そのときエルサレムへ珍しい来訪者がありました。東の方とは、オリエントあるいはメソポタミアと呼ばれる地域のようです。かつてイスラエルが捕囚となったバビロンがある方角とも言えます。「占星術の学者」とは英語でwiseman(賢者)あるいは sorcerer(呪術者)などと訳される一語で、翻訳上の「占星術の」と補われています。ですからいわゆる「星占い」の占い師の意味ではありません。天体の動きを観測し、正確な暦を作り、自然現象から歴史など幅広く精通していた人々です。科学者と歴史家を兼ねたような存在ですが、ユダヤの王宮へ王の謁見を求めてくるほどですから、国を代表する大臣級の官名の一つかも知れません。
この人たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(2)とうやうやしく尋ねます。また「拝みに来た」というのですから、彼らは新しく生まれた方を正式な王として祝福するために来たのです。 ヘロデ大王には世継ぎの心当たりがなく、別な王が現れたなら引導を渡されてしまいます。
これを聞いたヘロデ王は「不安を抱」きました。この3節を直訳すれば「聞いたことでヘロデは不安にさせられ、彼と共にいたエルサレム人みなもまた」となります。「彼と共にいた」人々とはヘロデの側近ですので、都全体に一瞬で噂が広がったということではありません。これは真の「ユダヤ人の王」がおられるベツレヘムと対比して、イドマヤ人の王がいるエルサレムを指しています。
このヘロデ大王はユダヤ人から信頼されて王になったのではなく、西の方にあるローマの元老院から任命されてユダヤの王になりました。それに対して東方の国が新たに生まれれた方をユダヤ人の王であると認めたわけです。ヘロデの後ろ盾であるローマの聞き及ばないところで、東方諸国の支援を受けた指導者が新たにユダヤ国内に誕生したということになります。国が分断あるいは転覆される危機的状況が差し迫りました。
切羽詰まったヘロデはユダヤの宗教指導者らを極秘裏に呼び寄せます(4-5)。このユダヤの人たちは律法や預言書、つまり旧約聖書の専門家でした。当然「ユダヤ人の王」が登場することは知っていたはずです。しかしローマによる平和(pax romana)という居心地のよさをヘロデ大王とともに味わってしまいました。この恩恵は手放すには惜しいものです。また凶悪なヘロデ大王にとって都合の悪い預言などは、その耳に入れることを恐れていたと推察できます。
預言書の内容を確認したヘロデは「ひそかに」学者たちと面会します(7-8)。ローマの権威にある者が東方寄りの情報に通じることがどれほど危険であるか考えれば、悪だくみをしていなくともひそかに面会することでしょう。「星の現れた時期」は後の幼児虐殺(16)にかかる重要な情報です。不用意に民衆の混乱を招かない配慮であるかのように、ヘロデは東方の学者たちを極秘の調査へと送り出しました。
2.東方からの礼拝者(9-12節)
後半はヘロデに送り出された学者たちとその行方です。ヘロデに送り出された学者たちは「東方で見た星」に導かれ、目指すところへたどり着きます。「先立って進み」「ついに・・・止まった」とは実際にどのような現象だったのかについては憶測が絶えません。神様が特別に彼らにだけ見えるような目印をくださったのかもしれません。学者たちが何らかの天体現象から割り出したのだとしても、その説明をガリラヤの田舎から出てきた夫婦が聞いて理解したとおりに伝えられているところです。
この東の方からやってきた人たちは、貢物を持って王様に謁見しにユダヤの国へ旅をしてきました。彼らについては聖書のこの箇所の記述しか情報がありません。ページェントなどでは3人の博士として描かれることが多いようですが、実際の人数は示されていません。国あるいは部族を代表して表敬訪問に来たのですから、それなりの地位がある人たちです。また王様へ貢ぐための宝物を運ぶ旅ですので荷役のための家畜を連れていたり、護衛の者たちを連れていたり、それなりの大きさの集団だと考える方が自然でしょう。
その彼らが目的地にたどり着つくや「喜びにあふれた」とあります。家の中にまで歓声が聞こえたほどでしょう。何人もの外国人が急にやってきて家の外で騒いでいるのですから、マリアとヨセフはさぞかし驚いたに違いありません。
迎えに出たのはヨセフのようです。珍しい訪問者は「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」のを見出しました。この「家」について今回は掘り下げませんが、宿とも家畜小屋とも書かれていません。イエス様が生まれた場所と同じ家だと考えてもよいのですが、ただし1年ほど後の出来事です。
どのような挨拶がなされたのか、通訳の人がいたのか、と知りたいことは尽きません。しかし福音書はこの訪問者たちが幼子に向かって「ひれ伏して」拝んだことだけをはっきりと示しています。このひれ伏すという行為は単にお辞儀をすることとは全く意味が異なります。和室になじみのある日本人にとっては、床に膝と指をついて頭を下げることは丁寧な挨拶のしかたの一つに過ぎないかもしれません。しかし、この「ひれ伏す」という行為は主人に対してしもべ(奴隷)が服従を示す動作にあたります。
本来であれば文明や文化が優れている東の方の人たちからすれば、ユダヤ人などローマの属州でありながらその市民権も得られないような一介の民族に過ぎません。それにもかかわらず、この人たちは農村の民家にいた幼子を神として礼拝したのです。救い主を待ち望んでいたはずのユダヤ人にさえ、まだ公には現わされていなかったうちにです。これは大変な驚きです。
「黄金、乳香、没薬」はそれぞれが高価なささげものです。黄金はおそらくユダヤ界隈ではなかなか手に入らないような、東方ならではの純度だったことでしょう。乳香とはオリバナムとも呼ばれる樹脂で、神殿の祭司が焚く香にも用いられます。没薬は防腐性のあるミルラという香料で、埋葬の際に用いられました。これらは王であり、祭司であり、預言者である主イエスの生涯を暗示するとも言われています。
ここで、東方からのお客様からたくさんの誕生日プレゼントをもらえてよかったね、とは話が収まりません。状況を言い換えてみましょう。イスラエルを訪れた某国の高官がユダヤの民間人と内密に接触、イスラエル当局の預かり知れぬところで幼児を次期指導者として擁立、その両親へ多額の金品を供与した上で隠密に出国した、ということです。国家の安全保障に関わる重大な事件です。そうなると、ここに関わった者は誰であれヘロデ大王に命を狙われることになります。
東方からの礼拝者たちは時間と労をかけて「ユダヤ人の王」に会いにきました。財を捧げ、命をかけてイエス様を礼拝したのです。
3.天と地のすべての権威を授かっている方
最後にこの「ユダヤ人の王」のことを思います。イエス様は生まれて間もないうちに「ユダヤ人の王」として異邦人に礼拝されました。そして十字架にかけられるに際しては、その罪状書きに異邦人の手によって「ユダヤ人の王」と書かれました(ヨハネ19:19)。当時ユダヤの人たちは自分たちを神の選びの民としてイスラエルと呼びましたから、「ユダヤ人の王」とは実に異邦人から見た呼び方です。
マタイによる福音書はユダヤの慣習にのっとってキリストの系図から始まりますが、一貫して異邦人と関わりを示しています東方の学者らの到来の後、エジプトへと連れ出されます。12使徒を任命される(12章)前に、既にローマの百人隊長のしもべを癒やす奇跡を行われています(8:5-12)。そこからほどなくカナン人の女とのやりとり(15:21-28)が記されています。
そして十字架刑の後で葬られ3日目によみがえった主は、弟子たちを改めて召して全世界へと福音宣教へ遣わされます(28:18-20)。この「ユダヤ人の王」はイスラエルに対してだけでなく、ご自身が「天と地の一切の権威を授かっている」(28:18)のだと宣言されました。こうしてイスラエルだけでも、東の方の人たちばかりでもなく、全世界の人々の救い主となってくださいました
東方からの礼拝者の到来によって、幼子として生まれた方が世界中で崇められるべき「ユダヤ人の王」であると明らかにされています。この方こそ「天と地のすべての権威を授かっている」全人類の、そして私たちの救い主イエス・キリストです。
<結び>
かつて東の方から「ユダヤ人の王」を拝みに来た人たちが、その後どうなったのか聖書に記されておりません。しかし今や世界の中で東の果てとも言われるこの日本でも「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」が告げ知らされています。
やがてこの方は「かしこより来たりて」すべての人をお裁きになります。その時、私たちも呼び集められ「東方からの礼拝者」として主にお会いすることになりましょう。
この一年も最後の聖日まで公の礼拝を守ることができました。これは神様からの非常に大きな恵みです。この恵みのうちに、主が再び来たりたもうその日まで、互いに祈り支え合いながら歩んで参りましょう。
まず初めに時の権力者について書かれています。主イエスがお生まれになったのはヘロデ王の時代(1)だったと書かれております。このヘロデはヘロデ大王として知られており、紀元前40-4年に在位しました。この年代からイエス様のお生まれが紀元前4年か5年だと考えられています。王宮はエルサレムにあり、イエス様はそこから南へ約8㎞にあるベツレヘムにおられました。
そのときエルサレムへ珍しい来訪者がありました。東の方とは、オリエントあるいはメソポタミアと呼ばれる地域のようです。かつてイスラエルが捕囚となったバビロンがある方角とも言えます。「占星術の学者」とは英語でwiseman(賢者)あるいは sorcerer(呪術者)などと訳される一語で、翻訳上の「占星術の」と補われています。ですからいわゆる「星占い」の占い師の意味ではありません。天体の動きを観測し、正確な暦を作り、自然現象から歴史など幅広く精通していた人々です。科学者と歴史家を兼ねたような存在ですが、ユダヤの王宮へ王の謁見を求めてくるほどですから、国を代表する大臣級の官名の一つかも知れません。
この人たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(2)とうやうやしく尋ねます。また「拝みに来た」というのですから、彼らは新しく生まれた方を正式な王として祝福するために来たのです。 ヘロデ大王には世継ぎの心当たりがなく、別な王が現れたなら引導を渡されてしまいます。
これを聞いたヘロデ王は「不安を抱」きました。この3節を直訳すれば「聞いたことでヘロデは不安にさせられ、彼と共にいたエルサレム人みなもまた」となります。「彼と共にいた」人々とはヘロデの側近ですので、都全体に一瞬で噂が広がったということではありません。これは真の「ユダヤ人の王」がおられるベツレヘムと対比して、イドマヤ人の王がいるエルサレムを指しています。
このヘロデ大王はユダヤ人から信頼されて王になったのではなく、西の方にあるローマの元老院から任命されてユダヤの王になりました。それに対して東方の国が新たに生まれれた方をユダヤ人の王であると認めたわけです。ヘロデの後ろ盾であるローマの聞き及ばないところで、東方諸国の支援を受けた指導者が新たにユダヤ国内に誕生したということになります。国が分断あるいは転覆される危機的状況が差し迫りました。
切羽詰まったヘロデはユダヤの宗教指導者らを極秘裏に呼び寄せます(4-5)。このユダヤの人たちは律法や預言書、つまり旧約聖書の専門家でした。当然「ユダヤ人の王」が登場することは知っていたはずです。しかしローマによる平和(pax romana)という居心地のよさをヘロデ大王とともに味わってしまいました。この恩恵は手放すには惜しいものです。また凶悪なヘロデ大王にとって都合の悪い預言などは、その耳に入れることを恐れていたと推察できます。
預言書の内容を確認したヘロデは「ひそかに」学者たちと面会します(7-8)。ローマの権威にある者が東方寄りの情報に通じることがどれほど危険であるか考えれば、悪だくみをしていなくともひそかに面会することでしょう。「星の現れた時期」は後の幼児虐殺(16)にかかる重要な情報です。不用意に民衆の混乱を招かない配慮であるかのように、ヘロデは東方の学者たちを極秘の調査へと送り出しました。
2.東方からの礼拝者(9-12節)
後半はヘロデに送り出された学者たちとその行方です。ヘロデに送り出された学者たちは「東方で見た星」に導かれ、目指すところへたどり着きます。「先立って進み」「ついに・・・止まった」とは実際にどのような現象だったのかについては憶測が絶えません。神様が特別に彼らにだけ見えるような目印をくださったのかもしれません。学者たちが何らかの天体現象から割り出したのだとしても、その説明をガリラヤの田舎から出てきた夫婦が聞いて理解したとおりに伝えられているところです。
この東の方からやってきた人たちは、貢物を持って王様に謁見しにユダヤの国へ旅をしてきました。彼らについては聖書のこの箇所の記述しか情報がありません。ページェントなどでは3人の博士として描かれることが多いようですが、実際の人数は示されていません。国あるいは部族を代表して表敬訪問に来たのですから、それなりの地位がある人たちです。また王様へ貢ぐための宝物を運ぶ旅ですので荷役のための家畜を連れていたり、護衛の者たちを連れていたり、それなりの大きさの集団だと考える方が自然でしょう。
その彼らが目的地にたどり着つくや「喜びにあふれた」とあります。家の中にまで歓声が聞こえたほどでしょう。何人もの外国人が急にやってきて家の外で騒いでいるのですから、マリアとヨセフはさぞかし驚いたに違いありません。
迎えに出たのはヨセフのようです。珍しい訪問者は「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」のを見出しました。この「家」について今回は掘り下げませんが、宿とも家畜小屋とも書かれていません。イエス様が生まれた場所と同じ家だと考えてもよいのですが、ただし1年ほど後の出来事です。
どのような挨拶がなされたのか、通訳の人がいたのか、と知りたいことは尽きません。しかし福音書はこの訪問者たちが幼子に向かって「ひれ伏して」拝んだことだけをはっきりと示しています。このひれ伏すという行為は単にお辞儀をすることとは全く意味が異なります。和室になじみのある日本人にとっては、床に膝と指をついて頭を下げることは丁寧な挨拶のしかたの一つに過ぎないかもしれません。しかし、この「ひれ伏す」という行為は主人に対してしもべ(奴隷)が服従を示す動作にあたります。
本来であれば文明や文化が優れている東の方の人たちからすれば、ユダヤ人などローマの属州でありながらその市民権も得られないような一介の民族に過ぎません。それにもかかわらず、この人たちは農村の民家にいた幼子を神として礼拝したのです。救い主を待ち望んでいたはずのユダヤ人にさえ、まだ公には現わされていなかったうちにです。これは大変な驚きです。
「黄金、乳香、没薬」はそれぞれが高価なささげものです。黄金はおそらくユダヤ界隈ではなかなか手に入らないような、東方ならではの純度だったことでしょう。乳香とはオリバナムとも呼ばれる樹脂で、神殿の祭司が焚く香にも用いられます。没薬は防腐性のあるミルラという香料で、埋葬の際に用いられました。これらは王であり、祭司であり、預言者である主イエスの生涯を暗示するとも言われています。
ここで、東方からのお客様からたくさんの誕生日プレゼントをもらえてよかったね、とは話が収まりません。状況を言い換えてみましょう。イスラエルを訪れた某国の高官がユダヤの民間人と内密に接触、イスラエル当局の預かり知れぬところで幼児を次期指導者として擁立、その両親へ多額の金品を供与した上で隠密に出国した、ということです。国家の安全保障に関わる重大な事件です。そうなると、ここに関わった者は誰であれヘロデ大王に命を狙われることになります。
東方からの礼拝者たちは時間と労をかけて「ユダヤ人の王」に会いにきました。財を捧げ、命をかけてイエス様を礼拝したのです。
3.天と地のすべての権威を授かっている方
最後にこの「ユダヤ人の王」のことを思います。イエス様は生まれて間もないうちに「ユダヤ人の王」として異邦人に礼拝されました。そして十字架にかけられるに際しては、その罪状書きに異邦人の手によって「ユダヤ人の王」と書かれました(ヨハネ19:19)。当時ユダヤの人たちは自分たちを神の選びの民としてイスラエルと呼びましたから、「ユダヤ人の王」とは実に異邦人から見た呼び方です。
マタイによる福音書はユダヤの慣習にのっとってキリストの系図から始まりますが、一貫して異邦人と関わりを示しています東方の学者らの到来の後、エジプトへと連れ出されます。12使徒を任命される(12章)前に、既にローマの百人隊長のしもべを癒やす奇跡を行われています(8:5-12)。そこからほどなくカナン人の女とのやりとり(15:21-28)が記されています。
そして十字架刑の後で葬られ3日目によみがえった主は、弟子たちを改めて召して全世界へと福音宣教へ遣わされます(28:18-20)。この「ユダヤ人の王」はイスラエルに対してだけでなく、ご自身が「天と地の一切の権威を授かっている」(28:18)のだと宣言されました。こうしてイスラエルだけでも、東の方の人たちばかりでもなく、全世界の人々の救い主となってくださいました
東方からの礼拝者の到来によって、幼子として生まれた方が世界中で崇められるべき「ユダヤ人の王」であると明らかにされています。この方こそ「天と地のすべての権威を授かっている」全人類の、そして私たちの救い主イエス・キリストです。
<結び>
かつて東の方から「ユダヤ人の王」を拝みに来た人たちが、その後どうなったのか聖書に記されておりません。しかし今や世界の中で東の果てとも言われるこの日本でも「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」が告げ知らされています。
やがてこの方は「かしこより来たりて」すべての人をお裁きになります。その時、私たちも呼び集められ「東方からの礼拝者」として主にお会いすることになりましょう。
この一年も最後の聖日まで公の礼拝を守ることができました。これは神様からの非常に大きな恵みです。この恵みのうちに、主が再び来たりたもうその日まで、互いに祈り支え合いながら歩んで参りましょう。