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頑張らない信仰

2016年09月11日
川崎 献一
マタイによる福音書11:25~30

9日(金)上町教会で、特別集会が行われました。クスマン典子先生のお話で「テーマ」が「がんばらないで」でした。世の人は「がんばって」と応援する人も多いですが、心の病の人には禁句です。

「がんばる」を漢字にすると「頑張る」です。これは「頑固に自我を張る」という意味からきているのでしょう。聖書の日本語訳には、「がんばる」という言葉は全くありません。似ている言葉として「励みなさい」はあります。どちらも努力するという意味では共通していますが、「頑張る」という言葉には、神に頼るという信仰的姿勢が見えないと判断されて、日本語訳聖書にはないのでしょう。心の病は、真面目な人がなりやすい点からも、「そう、がんばりなさんな」といい意味で手を抜く必要を説いています。勿論、怠けてしまうことも聖書では禁じます。要はバランスです。精一杯、励んだ上で、神に祈って委ねる信仰は、本日の主イエスの御言葉からも、充分に示されます。

主は、御父なる神を賛美し、祈っておられます。その御言葉の中に、世の知識人ではなく、幼子のように自分の無力さを認める者にこそ、信仰は賜るという奥義が示されています。どんな人でも、自我が砕かれて主の御言葉を受け入れることが勧められています。順調に成功している人々も、疲れや重荷を感じることもあります。その時、本日の御言葉を聴いたら、神からの招きです。神以外の代用物から癒しを求める人も多いでしょうが、それは本物の癒しではありません。

聖書は、人の罪を問題にします。世の人は、罪を認めず、神の御心が解りません。罪の赦しこそ、真の幸せの道で永遠の命に繋がるのです。「軛」とは、牛や馬の首に掛けるもので、神の律法を守ることへの負担を連想させます。でも、主が私達のために十字架に掛けられた信仰から、罪が赦され、普段の私達の重荷も主が担ってくださるとの約束です。主と共に歩む生活こそ、頑張らずに祈って主に委ねる信仰姿勢です。

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