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争うのは、やめよう

2016年10月09日
川崎 献一
創世記13章

世間では「醜い争い」という言葉もあります。遺産相続の件で、兄弟間で揉めることを連想する人も多いでしょう。世界を見渡せば、戦争やテロ、身近にも人間関係の乱れ等は、よくあることです。原因は互いの性格的相性が合わない場合や、お金が絡むと自己利益のための本性が出たりします。「美しい争い」という矛盾した表現などはありません。

アブラムとロトは、親戚です。この2人は、仲が良くても、雇われた者同士で争いが起きました。土地と財産問題からの争い、この古代から現代に至るまで、人間の罪の本質は変わりません。本日のテーマは、アブラムの言葉です。今は親しい間柄でも、いつ争いが生じるか判らないとアブラムは悟っています。そして、別れる甥のロトに選択権を優先します。この相手の自由意志を重んじる姿勢を神は喜ばれます。案の定、ロトは、魅力的な環境を選びます。更に、滅ぼされた町として有名なソドムに移動するロトの考えは俗人らしいとも言えます。

私達は、神に造られた隣人同士、争わずに赦し合うべきですが、その前に世の人には理解できない真理があります。それは、私達は、罪人です。無意識ながらも、神と争う性質を持っています。言い換えれば、神の敵であった者ですが、主イエスの十字架の愛を信じたら、罪が赦されているのです。旧約聖書は主イエスが来られる前の時代です。必然的に罪人は争います。では、新約時代の今でも争いがあるのは何故か?やはり、みんな罪人だからです。クリスチャンも赦された罪人で、教会も、罪人の集いです。

自分の思いから、失敗を経験したアブラムは、神の約束のみを信じ、礼拝します。聖なる神に従っていれば、試練があっても、最善に導かれるという確信です。教会はアブラムの信仰をも見習い、祈って聖霊に満たされ、主にあっての平和を目指します。

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