「救い主を迎える」ルカによる福音書1章39-56節
2021年12月19日
牧師 武石晃正
メリークリスマス!
この挨拶はクリスチャンではない人たちの間でも交わされていますが、「クリスマスおめでとう」という意味です。どうしておめでとうなのでしょうか?それは独り子なる神、キリストのお誕生日だからです。
私たちの救い主イエス様がお生まれになった日のお祝いです。世の人々にとっては年末のお楽しみ行事の一つに過ぎないかもしれませんが、私たちは心から主イエス様のご降誕をお祝いして「おめでとう!メリークリスマス!」と交わしましょう。
本日は宇都宮上町教会でもクリスマス礼拝として主日礼拝を捧げております。ルカによる福音書より世界で最初に救い主を迎えた人、しかも自分のお腹の中に迎えたマリアさんのお話を朗読いたしました。
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牧師 武石晃正
メリークリスマス!
この挨拶はクリスチャンではない人たちの間でも交わされていますが、「クリスマスおめでとう」という意味です。どうしておめでとうなのでしょうか?それは独り子なる神、キリストのお誕生日だからです。
私たちの救い主イエス様がお生まれになった日のお祝いです。世の人々にとっては年末のお楽しみ行事の一つに過ぎないかもしれませんが、私たちは心から主イエス様のご降誕をお祝いして「おめでとう!メリークリスマス!」と交わしましょう。
本日は宇都宮上町教会でもクリスマス礼拝として主日礼拝を捧げております。ルカによる福音書より世界で最初に救い主を迎えた人、しかも自分のお腹の中に迎えたマリアさんのお話を朗読いたしました。
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1.私たちになぜ救い主が必要なのか
救い主がお生まれになった誕生日を祝うのはよいとして、なぜ私たちに救い主が必要なのでしょうか。私たちは何から救われ、どこへ救われるのでしょうか。キリストが生まれたのは遠いユダヤの国ですから、アジアにいる私たちと関わり合いがあるのでしょうか。
聖書は「初めに、神は天地を創造された。」と始まり、天地創造の7日間を記しています。天地を隔て、昼と夜を区別し、海と陸を分け、様々な植物が創られました。そしてあらゆる動物とともに最初の人間アダムが創られました。創られた物はすべて整えられて何不自由ない状態で人間に明け渡されました。天地創造の神様はすべての者の創造主ですから、無関係な人など誰一人いないのです。
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と言われています。人間は本来この「極めて良かった」ところにいるはずでしたから、ここに立ち帰ることができるなら人類にとっての「救い」であると言えましょう。
なぜ人間はそこから離れてしまったのでしょう。最初の人アダムを神様はエデンの園に住まわせて「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と命じました(創世記2:16-17)。しかし、蛇にそそのかされたアダムの妻エバは善悪の知識の木から実を取って食べ、一緒にいた夫も渡されるままに食べてしまいました(3:6)。
「食べると必ず死んでしまう」と言われたとおり、死という呪いが人間に及びました。土が呪われ、勤労に苦しみが伴うようになり、生きることの喜びも損なわれてしまいます。「塵にすぎないお前は塵に返る」と生まれた直後から死に向かうことが定められました(3:19)。病気があるから死ぬのではなく、死の前触れとして老いや病があるのです。
このように生まれながら人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているので、いくらどうもがいても努力や苦行をどれほど重ねても自らを救い出すことができません。すべての人は死に至る罪から救われて、極めて良かった状態へと救われることを必要とします。
2.救い主を待ち望んでいた民族
救いのご計画を示すため、神様は一つの民族を定められました。紀元前2000年ごろに神様はアブラハムを選び「あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出る」と契約されます。彼の孫ヤコブは後にイスラエルという名を与えられ、12族長の父となりました。その子孫たちが12部族からなるイスラエル民族です。
アブラハム以来イスラエルは「永久の所有地として与える」とカナンの地、今のパレスチナ一帯を神様から約束されました。しかし干ばつから逃れてエジプトへ移住したり、エジプトから脱出しても40年も荒れ野をさまよったりと、なかなか約束の地を得られません。カナンの地にたどり着いた者たちも土地を勝ち取るためには戦が絶えず、ペリシテという青銅と鉄を巧みに用いる民族に長らく苦しめられました。
紀元前1000年ごろ、ユダ族の羊飼いエッサイのもとへサムエルという預言者が訪れました。彼はエッサイの末の息子ダビデに油を注ぎ、イスラエルの正統な王としました。このダビデ王によってようやくイスラエルはカナンの地を平定し、領土が確立しました。
あのアブラハムから1000年経ってイスラエルがようやく約束の地を手の内に収めたのです。神様の変わらない契約、選びの確かさを示すものとして、イスラエルは更に1000年経ってもなお「ダビデの王座」「エッサイの根株」に救いを求めました。
カナンの地、今のパレスチナ地方はアレクサンダー大王の遠征もあって古代ギリシャ帝国が支配しました。その後に台頭したローマ帝国によってイスラエルは属州として併合されてしまいます。イエス様がお生まれになったのは皇帝アウグストゥスの治世ですから、ダビデから数えてちょうど1000年ほど、アブラハムから2000年を数えます。
神の民イスラエルが求めるようになった救い主は本当の意味で神様のもとに立ち帰らせてくれる救い主ではなく、領土と自治をローマから奪い還してくれる力のある王様でした。
主が備えておられた救い主とはかけ離れたものを求めながら、ユダヤの人々は「ホサナ!お救いください!」と歓声をあげました。それはちょうどイエス様のことを知らないのに「メリークリスマス!」つまりキリストの誕生日おめでとうと挨拶を交わす様子と重なるように感じます。神の民がみこころを捕え違えることもあるのです。
武力によらず、権力によらず、高ぶることなく、雌ろばの子であるろばに乗って来られる王様が救い主として世に来られようとしていました。この方はすべての罪を贖い、その名を信じる者を死の呪いから解放してくださる救い主です。
3.救い主を迎える
朗読いたしました聖書の箇所は、本当の救い主を迎えることになった女性たちのお話です。今から2020年と少し昔のことです。ユダヤの国のガリラヤ地方、ナザレという町にマリアという少女が住んでいました。ある日、突然この少女に天使が現れて「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」とあいさつをしました。なんと男の子を産むというお祝いの言葉です。マリアは結婚前なのに妊娠することを告げられて戸惑うばかり。目の前が真っ暗です。
その天使は「主があなたと共におられる」「あなたは神から恵みをいただいた」「神にできないことは何一つない」と重ねてマリアを励ましました。神様はいつもあなたのそばにいますよ、あなたは特別なご計画のために選ばれた人なのですよ、と。みことばをいただいて「お言葉どおり、この身に成りますように」とマリアは心を固め、彼女は急いで山里に向かいエリサベトのもとに身を寄せました。
このエリサベトは年をとるまで不妊の女と言われていたのに、男の子を身ごもって六か月になっていいました。彼女の夫ザカリアへの天使のお告げによって身ごもったのです。実は旧約聖書にも長らく子を授からなくて苦しんだ女性たちについて記されており、神様が一人一人に目を留めておられることが分かります。その一人がハンナです。
ハンナは子を授かれないことで相嫁から苦しめられていました。ある時、祭司のもとでの祈りが聞かれ、ハンナは身ごもり、男の子を生みました。せっかく授かった息子でしたが、乳離れするやハンナは誓願どおり祭司のもとへ捧げました。サムエルと名付けられた子は預言者として神様に用いられ、あのダビデをイスラエルの王として任命したのでした。
そのときのハンナの祈りは「主にあってわたしの心は喜び/御救いを喜び祝う」と言う賛歌でした(サムエル記上2章)。ユダヤでも特に女性たちの間で歌い継がれ、エリサベトもマリアも幼い頃から慣れ親しんだことでしょう。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」とマリアを祝福したエリサベト自身も、天使のお告げと語り伝えられた神のことばによって支え励まされて歩んできました。マリアもまた御告げでは知っていたとはいえ、自分と同じく御告げを受けて懐妊した親戚と目の当たりに出会い、確信と喜びとが最高潮に達しました。
そこでマリアは主なる神をほめたたえます。即興で作詞作曲をしたというよりも、一族に継がれてきた歌いまわしでハンナの賛歌をエリサベトと一緒に歌ったのではないかと思います。と申しますのも、不妊の女と言われていたのに子を授かったエリサベトこそハンナの喜びを受けた者なのです。
エリサベトもマリアも天使のお告げを受けた者ではありますが、代々に語り伝えられ歌い継がれてきた神のみことばを心にしっかりと宿してました。心に刻まれた神のことばが彼女たちを支え、確信を与えたのです。聖書のことばがこの二人を結び付け、共によろこびを分かち合うものとしたのです。御言葉が人に宿り、生きて働くのです。
さてマリアは3か月ほどエリサベトと暮らし、これから自分に起こる妊娠出産に関わる体の変化や必要な備えについて学んだことでしょう。妊娠初期の大切な時期を山里の親戚で過ごしたことで、家族や近所の視線によるストレスから守られたという一面もあります。それは出産を控えたエリサベトにとっても言えることです。「天使のお告げがあった」で話が通じるのはザカリア夫妻とマリアのたった3人だけなのですから。
天使による受胎告知はあまりにも急で一方的なものでしたが、心に蓄えたみことばによって困難を受け入れられる女性たちを神様は選ばれました。課せられた使命を受け入れた者に、神様は心と体の備えをするだけの時間と場所を十分に与えてくださいました。
この後、二人の母たちはそれぞれ順に月が満ちて男の子を生みました。エリサベトはヨハネ、マリアはイエス様です。確かに天使の御告げを受けましたが、神のことばと信仰と、霊の交わりによって救い主を迎えることができたのです。聖書と信仰と霊の交わり、これらは今でも救い主を迎えるために教会と求めるすべての人に与えられています。
<結び>
メリークリスマス!救い主をお迎えするよろこびの挨拶です。
「見よ、それは極めて良かった」と罪の支配からも死の呪いからも救ってくださる救い主が世に来られました。しかし神の民と呼ばれても求めなかった者たちはこの恵みを見落としてしまいました。
今年も聖書と信仰、霊の交わりによって救い主を迎える礼拝ができたことを感謝します。