マタイによる福音書2章1-12節「東方の学者たち」
2021年12月26日
牧師 武石晃正
振り返ってみますと、昨年のクリスマスは暗中模索で迎えたことを思います。クリスマスに限らず毎週の主日礼拝そのものが短縮されたり密を避けたりと、異例のことばかり続きました。2021年はコロナ禍2年目ということで昨年よりは対応に気持ちの余裕が生じたような気がいたします。
第5波による緊急事態宣言下でも礼拝を絶やすことなくささげることができました。またクリスマス礼拝は消毒や換気に留意していましたので、CSも主日礼拝も普段以上に多く集まっても不安なく守ることができたことを覚えます。また一昨日のクリスマスイヴの集いも演奏者と関係者のほかにも多くの方々が福音のことばを聞くことができました。
クリスマスはこの世ではパーティなどの行事をすることが目的のようになっておりますが、キリストの体である教会は唯一まことの救い主イエス・キリストのご降誕を祝います。本日はおそらく世界で初めてクリスマスプレゼントを贈った人たちについてマタイによる福音書から朗読いたしました。
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牧師 武石晃正
振り返ってみますと、昨年のクリスマスは暗中模索で迎えたことを思います。クリスマスに限らず毎週の主日礼拝そのものが短縮されたり密を避けたりと、異例のことばかり続きました。2021年はコロナ禍2年目ということで昨年よりは対応に気持ちの余裕が生じたような気がいたします。
第5波による緊急事態宣言下でも礼拝を絶やすことなくささげることができました。またクリスマス礼拝は消毒や換気に留意していましたので、CSも主日礼拝も普段以上に多く集まっても不安なく守ることができたことを覚えます。また一昨日のクリスマスイヴの集いも演奏者と関係者のほかにも多くの方々が福音のことばを聞くことができました。
クリスマスはこの世ではパーティなどの行事をすることが目的のようになっておりますが、キリストの体である教会は唯一まことの救い主イエス・キリストのご降誕を祝います。本日はおそらく世界で初めてクリスマスプレゼントを贈った人たちについてマタイによる福音書から朗読いたしました。
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1.「東の方」の国について
クリスマスが近づきますとキリスト教学校やこども園、教会学校などではページェント(降誕劇)の練習を始めるところも多いでしょう。今年もみふみ認定こども園のページェントはとても立派にできました。普段はあまり聖書を読まれない方でも、劇を通して天使による受胎告知や処女降誕などイエス様のお生まれについて知ることができます。
脚本にはそれぞれ特色があるかと思いますが、その中でも独特の存在感をもつ登場人物が「宿屋の主人」と東方の学者たちです。宿屋について述べ始めると長くなりますので割愛いたしますが、両者の共通点は聖書の記述よりも伝承や脚本家の想像力にゆだねられていることです。前者はそもそも聖書には登場しておらず、後者はどこにも人数が記されていないのにたいていの台本では「3人」とされている場合が多いようです。
福音書には詳しい記述は見られませんが、この学者たちがやってきた「東の方」について聖書の中からある程度の手がかりを見出すことが可能です。主イエス様がお生まれになったのはヘロデ王の時代(1)で、その在位は紀元前40-4年です。シルクロードでの東西交易が盛んになる前の年代ですから、パレスチナから見て東の果てはメソポタミアと呼ばれる地域ということになります。現在のイラク、バグダッドから南側の一帯です。
現代の世界地図で確認しますとエルサレムからバグダッドまでは道のりにして1000km以上あります。当時はもっと遠回りだったことも考えられますが、それほど遠い地域とユダヤの人たちにどんな関係があったのでしょうか。あるいはこの学者たちは自分たちの方が文明や文化においてはるかに優れていたにもかかわらず、いったいどうしてユダヤという小さな国のことを調べようなどと思ったのでしょうか。
彼らが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を求めてやって来たことから、かつてイスラエルを王が治めていた時代と関係があるようです。たしかにマタイによる福音書でも、冒頭の系図のなかで「バビロンへ移住させられた」(1:11)と記されています。いわゆるバビロン捕囚という歴史上の出来事です。
ユダヤの人たちが神様に背いた罰として祖国を追われ、虜となったというだけであれば、数百年も前の話をわざわざ学者たちが蒸し返したりはしなかったでしょう。イスラエルの神が偉大であることがバビロンやペルシャの王宮に知れ渡った事件が何度かあったのです。
旧約聖書に記されている人物のうち、紙芝居や絵本などで子どもたちにもよく知られているのはダニエルやエステルでしょうか。もちろん他にもたくさんいるわけですが、バビロン捕囚の最中にあった少年ダニエルと3人の友だちの話は大人でも手に汗を握ります。
バビロンのネブカドネツァル王に仕えるために召し抱えられたユダヤ人の少年たちは、王が崇拝している神々や金の像を拝むことを強いられました。「もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる」(ダニエル3:15)というのです。しかし彼らは「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます」と王の神々や像を拒みました。
これを聞いたネブカドネツァル王は怒り心頭、3人の少年らを縛らせ、燃え盛る炉に投げ込ませました。ところが炉の中に第4の姿として神ご自身が現れて、彼らの髪の毛が焦げることさえないように守られました。驚きあきれた王はなんと自らの勅令で「いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」とお触れを出したのです。
その次の時代、ペルシャの国でユダヤ人が根絶やしにされそうになりました。その危機を救った王妃エステルの物語は、日本でも教会の親子室などに1冊ぐらいはあるかと思います。結果だけ申しますと、ユダヤ人の命を守るための勅令が王の名によって民族ごとにその民族の言語で書かれ、取り消されないように王の指輪で印が押されました。
これらの人たちの信仰が優れていたことは勿論ですが、彼らがバビロニアやペルシャの王宮に仕えていたことは特筆すべきです。これらの出来事は勅令とともに記録され、王の書庫に保管されました。優れた官僚であるユダヤ人青年たちのことも、民族問題をあぶりだした王妃のことも、為政者が代わってもなお歴史書として保存されたのです。
ですからバビロン捕囚から500年ほど経ってもなおユダヤの国とその王家について調べることができました。「わたしたちは東方でその方の星を見た」と言った学者たちは、歴史資料によってユダヤからかつてのような偉大な王が現れることを知った上で、その時を示す星の出現を待ちわびていたとも考えられます。
「東の方」とはかつて神の民イスラエルが背きの罪への罰として引かれて行った異教の地であり、捕囚民のある者たちが命を懸けて信仰を戦い抜いた場所でした。捕囚とされた経緯は褒められるものでも見習うべきでもありませんが、神様はどんな状態であれご自分の民を通して救いのご計画の種を蒔かれたのです。神様は罰を与えるだけでなく救いのご計画を知らせるために捕囚となる土地を定めておられたのです。
異邦人であっても求めるならば「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を礼拝することができるようにと、神様は「東の方」の国で歴史の中に働いておられました。
2.東方の学者たちの礼拝
本日の箇所の主役である「占星術の学者」は、いわゆる「星占い」の占い師ではなく、天体の動きを観測する科学者と歴史家を兼ねたような存在でした。正確な暦を作ったり、歴史を研究したりする専門家です。
この人たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(2)とエルサレムの王宮を訪ねます。当時エルサレムの王宮にいたのはヘロデ大王で、彼はユダヤ人ではなくイドマヤ人の血を引く者でした。正統な王位継承者が現れたと民衆に知られたら、ヘロデは自分の王位ばかりか命も危うくなります。
ヘロデは宗教指導者たちから聞いた預言書により「ユダヤ人の王」がベツレヘムに生まれることを知り、学者たちの「星の現れた時期」から生まれた年に見当をつけます。「ユダヤ人の王」を暗殺するため、ヘロデは学者たちを極秘の調査へと送り出しました。
一方ベツレヘムでは、東方の学者たちが目的地にたどり着つくや喜びにあふれて歓声をあげました。何人もの外国人が急にやってきて家の外で騒いでいるのですから、マリアとヨセフはさぞかし驚いたことでしょう。
「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」のを見つけた学者たちは、幼子に向かって「ひれ伏して」拝みました。このひれ伏すという行為は単にお辞儀をすることではなく、地面に両手両膝をついて顔を伏せることです。日本人が和室の文化で三つ指をつくのとは趣が異なりまして、この「ひれ伏す」という行為はしもべ(奴隷)が主人に対して服従を示す動作です。初めて出会ったこの幼子を、イスラエルの偉大な王の再来として信じたということです。
特別な贈り物が献げられました。「黄金、乳香、没薬」はそれぞれが高価なささげものです。いずれもユダヤ界隈では滅多に手に入らないような、東方ならではの純度だったことでしょう。これら3種類のささげ物は、王、祭司、預言者としての救い主メシヤの役職を示しているとも伝えられています。
かつてイスラエルで王たちも祭司たちも主の御心に背き、遣わされた預言者たちは迫害を受けました。バビロン捕囚の際には王宮も神殿も破壊され、預言者の声も途絶えました。しかし神様は散らされ失われてしまったように思われたものを、時を経て東方の学者らの手によって再びイスラエルへとお戻しになられたのです。
このあと東方の学者たちはヘロデに会うことなく自分たちの国へと帰っていきました。イエス・キリストの福音は復活と昇天の後にはどちらかといえばローマへ向けて西へ西へと宣べ伝えられていきます。ご降誕においては「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」すべての人を照らすまことの光は、東の国の人々へと伝えられました。
<結び>
主は預言者エレミヤを通してユダヤの人たちに語られました。「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。」(エレミヤ29:7)
かつてバビロンで王宮に召し抱えられた少年たちは、偶像を拝むことこそありませんでしたが、王や役人たちに誠実に仕えました。神様は彼らを通して救いの計画の種を蒔き、東方の学者たちは「ユダヤ人の王」イエス様を礼拝することができました。
聖霊は使徒たちを通して教会に呼びかけます。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(ペトロ一3:9)
東方の学者たちを通して異邦人にも救い主が示されたように、神様は私たちを用いて更に東の果ての日本に住む人々にも祝福を受け継がせてくだろうとしています。
2021年を最後の主日まで公の礼拝として皆さんとご一緒に神様の前に出ることが許された恵みを主に感謝します。
クリスマスが近づきますとキリスト教学校やこども園、教会学校などではページェント(降誕劇)の練習を始めるところも多いでしょう。今年もみふみ認定こども園のページェントはとても立派にできました。普段はあまり聖書を読まれない方でも、劇を通して天使による受胎告知や処女降誕などイエス様のお生まれについて知ることができます。
脚本にはそれぞれ特色があるかと思いますが、その中でも独特の存在感をもつ登場人物が「宿屋の主人」と東方の学者たちです。宿屋について述べ始めると長くなりますので割愛いたしますが、両者の共通点は聖書の記述よりも伝承や脚本家の想像力にゆだねられていることです。前者はそもそも聖書には登場しておらず、後者はどこにも人数が記されていないのにたいていの台本では「3人」とされている場合が多いようです。
福音書には詳しい記述は見られませんが、この学者たちがやってきた「東の方」について聖書の中からある程度の手がかりを見出すことが可能です。主イエス様がお生まれになったのはヘロデ王の時代(1)で、その在位は紀元前40-4年です。シルクロードでの東西交易が盛んになる前の年代ですから、パレスチナから見て東の果てはメソポタミアと呼ばれる地域ということになります。現在のイラク、バグダッドから南側の一帯です。
現代の世界地図で確認しますとエルサレムからバグダッドまでは道のりにして1000km以上あります。当時はもっと遠回りだったことも考えられますが、それほど遠い地域とユダヤの人たちにどんな関係があったのでしょうか。あるいはこの学者たちは自分たちの方が文明や文化においてはるかに優れていたにもかかわらず、いったいどうしてユダヤという小さな国のことを調べようなどと思ったのでしょうか。
彼らが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を求めてやって来たことから、かつてイスラエルを王が治めていた時代と関係があるようです。たしかにマタイによる福音書でも、冒頭の系図のなかで「バビロンへ移住させられた」(1:11)と記されています。いわゆるバビロン捕囚という歴史上の出来事です。
ユダヤの人たちが神様に背いた罰として祖国を追われ、虜となったというだけであれば、数百年も前の話をわざわざ学者たちが蒸し返したりはしなかったでしょう。イスラエルの神が偉大であることがバビロンやペルシャの王宮に知れ渡った事件が何度かあったのです。
旧約聖書に記されている人物のうち、紙芝居や絵本などで子どもたちにもよく知られているのはダニエルやエステルでしょうか。もちろん他にもたくさんいるわけですが、バビロン捕囚の最中にあった少年ダニエルと3人の友だちの話は大人でも手に汗を握ります。
バビロンのネブカドネツァル王に仕えるために召し抱えられたユダヤ人の少年たちは、王が崇拝している神々や金の像を拝むことを強いられました。「もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる」(ダニエル3:15)というのです。しかし彼らは「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます」と王の神々や像を拒みました。
これを聞いたネブカドネツァル王は怒り心頭、3人の少年らを縛らせ、燃え盛る炉に投げ込ませました。ところが炉の中に第4の姿として神ご自身が現れて、彼らの髪の毛が焦げることさえないように守られました。驚きあきれた王はなんと自らの勅令で「いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」とお触れを出したのです。
その次の時代、ペルシャの国でユダヤ人が根絶やしにされそうになりました。その危機を救った王妃エステルの物語は、日本でも教会の親子室などに1冊ぐらいはあるかと思います。結果だけ申しますと、ユダヤ人の命を守るための勅令が王の名によって民族ごとにその民族の言語で書かれ、取り消されないように王の指輪で印が押されました。
これらの人たちの信仰が優れていたことは勿論ですが、彼らがバビロニアやペルシャの王宮に仕えていたことは特筆すべきです。これらの出来事は勅令とともに記録され、王の書庫に保管されました。優れた官僚であるユダヤ人青年たちのことも、民族問題をあぶりだした王妃のことも、為政者が代わってもなお歴史書として保存されたのです。
ですからバビロン捕囚から500年ほど経ってもなおユダヤの国とその王家について調べることができました。「わたしたちは東方でその方の星を見た」と言った学者たちは、歴史資料によってユダヤからかつてのような偉大な王が現れることを知った上で、その時を示す星の出現を待ちわびていたとも考えられます。
「東の方」とはかつて神の民イスラエルが背きの罪への罰として引かれて行った異教の地であり、捕囚民のある者たちが命を懸けて信仰を戦い抜いた場所でした。捕囚とされた経緯は褒められるものでも見習うべきでもありませんが、神様はどんな状態であれご自分の民を通して救いのご計画の種を蒔かれたのです。神様は罰を与えるだけでなく救いのご計画を知らせるために捕囚となる土地を定めておられたのです。
異邦人であっても求めるならば「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を礼拝することができるようにと、神様は「東の方」の国で歴史の中に働いておられました。
2.東方の学者たちの礼拝
本日の箇所の主役である「占星術の学者」は、いわゆる「星占い」の占い師ではなく、天体の動きを観測する科学者と歴史家を兼ねたような存在でした。正確な暦を作ったり、歴史を研究したりする専門家です。
この人たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(2)とエルサレムの王宮を訪ねます。当時エルサレムの王宮にいたのはヘロデ大王で、彼はユダヤ人ではなくイドマヤ人の血を引く者でした。正統な王位継承者が現れたと民衆に知られたら、ヘロデは自分の王位ばかりか命も危うくなります。
ヘロデは宗教指導者たちから聞いた預言書により「ユダヤ人の王」がベツレヘムに生まれることを知り、学者たちの「星の現れた時期」から生まれた年に見当をつけます。「ユダヤ人の王」を暗殺するため、ヘロデは学者たちを極秘の調査へと送り出しました。
一方ベツレヘムでは、東方の学者たちが目的地にたどり着つくや喜びにあふれて歓声をあげました。何人もの外国人が急にやってきて家の外で騒いでいるのですから、マリアとヨセフはさぞかし驚いたことでしょう。
「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」のを見つけた学者たちは、幼子に向かって「ひれ伏して」拝みました。このひれ伏すという行為は単にお辞儀をすることではなく、地面に両手両膝をついて顔を伏せることです。日本人が和室の文化で三つ指をつくのとは趣が異なりまして、この「ひれ伏す」という行為はしもべ(奴隷)が主人に対して服従を示す動作です。初めて出会ったこの幼子を、イスラエルの偉大な王の再来として信じたということです。
特別な贈り物が献げられました。「黄金、乳香、没薬」はそれぞれが高価なささげものです。いずれもユダヤ界隈では滅多に手に入らないような、東方ならではの純度だったことでしょう。これら3種類のささげ物は、王、祭司、預言者としての救い主メシヤの役職を示しているとも伝えられています。
かつてイスラエルで王たちも祭司たちも主の御心に背き、遣わされた預言者たちは迫害を受けました。バビロン捕囚の際には王宮も神殿も破壊され、預言者の声も途絶えました。しかし神様は散らされ失われてしまったように思われたものを、時を経て東方の学者らの手によって再びイスラエルへとお戻しになられたのです。
このあと東方の学者たちはヘロデに会うことなく自分たちの国へと帰っていきました。イエス・キリストの福音は復活と昇天の後にはどちらかといえばローマへ向けて西へ西へと宣べ伝えられていきます。ご降誕においては「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」すべての人を照らすまことの光は、東の国の人々へと伝えられました。
<結び>
主は預言者エレミヤを通してユダヤの人たちに語られました。「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。」(エレミヤ29:7)
かつてバビロンで王宮に召し抱えられた少年たちは、偶像を拝むことこそありませんでしたが、王や役人たちに誠実に仕えました。神様は彼らを通して救いの計画の種を蒔き、東方の学者たちは「ユダヤ人の王」イエス様を礼拝することができました。
聖霊は使徒たちを通して教会に呼びかけます。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(ペトロ一3:9)
東方の学者たちを通して異邦人にも救い主が示されたように、神様は私たちを用いて更に東の果ての日本に住む人々にも祝福を受け継がせてくだろうとしています。
2021年を最後の主日まで公の礼拝として皆さんとご一緒に神様の前に出ることが許された恵みを主に感謝します。