FC2ブログ

「十字架への道」マルコによる福音書14章32-42節

2022年4月10日
牧師 武石晃正

 いよいよ受難週を迎えました。受難週はイエス様が十字架へ向かわれた最後の1週間を覚える週です。その週の初めの日、今でいうところの日曜日にイエス様はロバの子に乗ってエルサレムに入られ、イスラエルの王として群衆に迎えられました。
 そこから裏切りに遭って捕らえられるまでたったの数日、まさに急転直下でした。本日は折しも聖餐式がありますから、朗読の箇所だけでなく主の晩餐のことも触れながらイエス様の十字架への道について思いめぐらせて参りましょう。

PDF版はこちら

1.過越祭
 十字架に至る週は過越祭というイスラエルの祭の真っただ中にありました。この祭りはイスラエルが神の民であることの印ともいえるとても大切なものです。
 イスラエルの暦は春分の頃の新月の日から1年の第一の月が始まります。かつてイスラエルの人々がエジプトで苦役に服していたとき、主が「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」(出12:2)と命じられたことによります。この最初の月に過越祭があります。

 エジプトの国からイスラエルが救い出された日、人々は神様の命令に従って傷のない1歳の雄の小羊をほふりました。その晩、主は大きな災いによってエジプトの国を撃たれました。しかし主がエジプトを行き巡るとき、家の入口の鴨居と柱に塗られた小羊の血をご覧になると、その家は主の契約によって災いが過ぎ越されたのです。
 それ以来、イスラエルではこの日を主の過越として祝うことが永遠の掟となりました。神の所有とされた契約のしるしであり、イスラエルの独立あるいは建国の記念が過越祭です。イエス様の時代はエジプトではなくローマ帝国の支配下にありましたから、人々は毎年この祭になるとモーセやヨシュアのような指導者が現れることを願ったでしょう。

 ルカによる福音書には「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」と母マリアとその夫ヨセフが過越をエルサレムで祝ったことが記されています(ルカ2:41)。ヨセフは「正しい人」と呼ばれていますから、欠かすことなく毎年エルサレムを巡礼したことが分かります。イエス様もヨセフの子として、またご自身の意思によって過越祭には毎年エルサレムへ上られたことでしょう。
 この年も過越祭を祝うために弟子たちを連れてエルサレムへ向かわれました。ヨハネによる福音書が「特別の安息日」(ヨハネ19:31)という記し方をしています。安息日は週の7日目であり、普段の生活ではローマ式の太陽暦で7日目ごとに安息日が守られました。

 なんとこの年の第1の月はユダヤの暦による7日目が普段の暦の安息日と重なりました。出エジプトの出来事のあの年と同じ曜日並びで過越しの安息日がやってきますから、今年こそ何か起こるのではないかと人々の期待感は高まるばかり。
 ちょうど私たちにとってのクリスマス(12月25日)が日曜日と重なることがとても珍しいのと同じかそれ以上の興奮でしょう。イエス様の弟子たちもユダヤ人ですから、この年の過越祭は特別なものでした。

 ロバの子に乗って本当の王様が凱旋したかのようなエルサレム入城でしたし、都の様子も例年とは比べ物にならないほど盛り上がっています。なにしろ月齢による暦ですから10日を過ぎれば夜更けでも外が明るいのです。
 ガリラヤを出るときから3度に渡ってイエス様は弟子たちにエルサレムで起こる受難について予告されました。しかしながら弟子たちは後に主の晩餐と呼ばれるこの年の過越の食事においては、文字通りお祭り気分だったということです。

2.ゲツセマネの祈り
 月明りの下、イエス様一行はエルサレムの城外にあるオリーブ山へ向かい、ゲツセマネと呼ばれる所に着きました。主を裏切ったユダは既に別行動に出ていますので、11人の弟子たちがイエス様について来ています。
 そこで腹ごなし酔い覚ましでしょうか、イエス様は8人をその場においてペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを伴われたということです。あの特別な山にも伴われた3人です。

 「私は死ぬほど苦しい」とひどく苦しみ悩むイエス様ですが、3人の弟子たちにその真意は伝わらなかったようです。弟子たちとしては明日にもイエス様が奇跡を起こしてこの国の王様になってくださるだろうと期待していました。イエス様が苦しそうにしているのは何か悪いものにでもあたったか、お祭りの食事で食べ過ぎてしまったか、その程度に考えていたように見受けられます。
 祈りの中でイエス様は「父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください」と地にひれ伏して願われました(36)。当時のユダヤではローマによって死刑が禁じられていましたから、都で捕らえられたなら直ちにローマの総督に身柄が引き渡されるでしょう。

 ローマの市民権がない犯罪者に対して、兵士たちが人を人とも思わないような扱いをすることは目に見えています。どうせ死刑にされるのだから刑の執行まで生かしてあれば何をしてもよい、と情け容赦なくいたぶるのです。なんと恐ろしいことでしょう。
 独り子である神であっても肉体を取られたことで弱さを負っておられます。聖霊が降っていても、肉体の苦しみは心をむしばみます。眠っていた弟子に向けられた「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」とのお言葉は、ご自身が体をもって受けるであろう苦しみに対する恐怖とも重なります。

 弟子たちから離れてうめき苦しみながら祈ること3度、裏切りによって渡される時が迫ってきます。苦しんで祈られているイエス様の前で眠ってしまった弟子たちは「イエスにどう言えばよいのか、分からなかった」(40)と申し訳が立たなかったということです。
 思えば弟子たちもガリラヤを発った時からずっと緊張が続いており、エルサレムに至っては大きな興奮の中におりました。そこへ特別な年の過越の食事を摂ったので、弟子たちの疲れが頂点に達したことはイエス様もよくご存じでした。

 「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい」と咎めることはなかったご様子です。この後ペトロは3度イエス様を否むことになりますが、ヤコブとヨハネもまた主の前で3度眠ってしまったのです。

3.主の晩餐 
 「もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される」とイエス様はいよいよ十字架への道を進んで行かれます。この福音書が記された時代、教会は熾烈な迫害に晒されていました。教会に向けて「目を覚まして祈っていなさい」と、主ご自身が苦しみのうちに祈られたことを思い起こさせます。
 使徒言行録には弟子たちが集まってパンを裂いていたことが記されています。「これはわたしの体である」と言われたパンを裂き、キリストの体が裂かれた苦しみを自分の身に負うためです。

 かつて過越祭で流された小羊の血は、代々にわたって守るべき不変の定めとしてイスラエルに与えられた神様の契約でした。イエス様は杯から飲んだ弟子たちに、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と新しい契約をお授けになりました。
 「わたしの記念としてこのように行いなさい」(ルカ22:19)と命じられたとおり、弟子たちは教会へ主の晩餐を受け継いでいきます。弟子たちがパンを裂き杯から飲むとき、主が十字架で死なれたことばかりでなく、あの晩ゲツセマネで目を覚ましていることさえできなかった弱さをも思い出すことになるのです。

 ペトロをはじめとする弟子たちも、迫害の中にあった教会も、自らの弱さや押し迫る患難のために目を覚まして祈り続けることの難しさを経験しました。「この杯をわたしから取りのけてください」と御父に懇願したイエス様だからこそ、私が自分ではどうすることもできない弱さを負っている者であることを私以上に知っていてくださるのです。
 主の晩餐はキリストがお受けになられた苦しみと流された血による契約を記念するものです。その苦しみとは十字架の上ばかりでなく、ご生涯において受けられた迫害であり、引き渡される夜のゲツセマネの祈りでもあります。

 私たちが弱さのゆえに祈ることができない時でさえも、主キリストが御父の前で苦しみもだえながら祈ってくださっていることをも覚えます。
  
<結び> 
 「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
 イエス様は十字架への道を進むにあたり、弟子たちをゲツセマネの祈りに伴われました。キリストは十字架にかかり私たちの罪の身代わりとして死なれただけでなく、肉体における弱さや苦しみも身をもって味わってくださったのです。

 十字架への道、ゲツセマネの祈りにおいてもキリストは私たち人間の弱さに同情してくださいました。その裂かれた体、流された血をもって新しい契約を与えられた者はみなキリストの御愛を知るのです。
 聖餐の恵みを受ける者は主の死を告げ知らせ、恵みの内に十字架の道を歩むのです。

コンテンツ

お知らせ