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本物の光

2016年12月25日
川崎 献一師
ルカによる福音書2:8~20

本日は、上町教会では子どもと大人が共に礼拝を献げました。通常は、子どもには教会学校が朝9時から行われ、大人とは別々の時間に礼拝をします。「女、子供」という不快語がありますが、聖書当時は、現代以上に差別意識が強く、闇の中を生きていました。

本日、出てくる羊飼いも、当時の差別社会の犠牲者です。ユダヤ教の律法にある安息日を守れない環境に生まれた神から見捨てられた者扱いです。安息日は、労働が禁止されていますが、誰かが羊の世話をしなければ羊は育ちません。ユダヤ教の指導者たちのエリート意識は、社会の底辺にいる人々を不幸にしていました。そんな名も知れぬ羊飼いたちに、まっさきに本物の光が射したのです。昼ではないので、日光ではないし、月光でもなく「主の栄光」が照らしたとあります。それは神ご自身が光の方だからです。

その光からの天使の言葉の内容は、具体的です。宗教は、抽象的とか凡人にはわからない言葉を使う等のイメージがありますが、救い主の誕生の告知は極めて生活臭があります。そして、まずユダヤの民全体への福音です。現代でも、世間全体が幸せではありません。経済格差社会から偏っていて、お金持ちが必ずしも幸せとは言えません。お金の魅力は、本日のテーマの逆をいく「偽りの光」です。他にも、真の神以外からくる光らしきものに惑わされないように。現実は、人間関係の複雑さ、病気、老化、そして最期の死の問題は、人類の力では解決できない永遠のテーマです。偽りの光は、永遠には繋がらない一時的なものです。

夜空に響く天の大軍による神への賛美を見て、羊飼いは圧倒されたことでしょう。安息日は守れなくても、神を信じていた彼らの素直かつ純粋な信仰は見習うべきものです。無神論者であっても、この神体験があったら、それまでの「神などいるか」という持論も吹っ飛ぶことでしょう。罪人は自我と常識、自分の体験に囚われやすいのです。

羊飼いたちは、神の言葉の実現を確かめるため、ベツレヘムへ行きました。すると天使の伝言は真実でした。この福音を聞いて、不思議がるだけの人で終わっては残念です。マリアは、これを謙虚に受け止め、羊飼いたちにとっては、本物の光からの喜びが伴う、新しい人生の始まりです。

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