FC2ブログ

「キリストの降誕」ルカによる福音書2章1-21節

2022年12月25日
牧師 武石晃正

 クリスマスおめでとうございます。どうしておめでとうと挨拶をするのでしょうか、それはお誕生日だからです。
 キリストすなわち私たちの救い主イエス様がお生まれになった日のお祝いです。聖書にはイエス様がお生まれになった日付が分かるような記述がありませんので、後の時代の教会が降誕をお祝いする日として12月25日を定めました(325年、ニカイア公会議)。

 今年は奇しくも教会暦のクリスマスと主日礼拝とが重なりました。世の中ではクリスマスとは名ばかりでキリストのキの字も見当たらないような催しも多くありますが、主キリストの体である教会はイエス・キリストの降誕を祝います。
 本日はルカによる福音書を読みつつ、「キリストの降誕」に思いを向けましょう。


PDF版はこちら
(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

1.ベツレヘムの羊飼い
 聖書の中で最初にベツレヘムという地名が取り上げられるのは。年代にすると今から4000年ほど昔のことになります。アブラハムの孫であり後にイスラエルと呼ばれたヤコブが妻ラケルを葬ったことにゆかりがあります(創35:19)。
 古代の豪族が妻を葬ったというのですから、荒れ野や砂漠のように廃れた場所ではなく季節によっては緑豊かな美しい場所だったことでしょう。国中を飢饉が襲った時でさえもベツレヘムの一帯では大麦や小麦が作られ続けたこともありました(ルツ2章)。

 ある年、神様はそのベツレヘムへ一人の預言者を送りました。その一帯を治める一族の中に王となるべき者を見いだしたからです(サムエル上16:1)。
 預言者サムエルがベツレヘムに着くと大地主の一族であるエッサイとその息子たちを招き、いけにえの会食を催しました。ところが会食に臨んだ7人の息子たちの中には神様の目に適う者はおらず、残る末の子は野で羊の番をしておりました(11)。

 神から遣わされた人は野にいるその羊飼いを呼びに行かせ、ベツレヘムへ来るようにと招きました。呼ばれて来た息子こそ主の目に適う者であり、預言者は「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ」との神様の言葉を受けました。
 こうしてエッサイの子ダビデはイスラエルの王となるべき者として油を注がれました。キリストとは油を注がれた者という意味ですから、ダビデに油が注がれたことによってベツレヘムに王であるキリストが現れることになりました。

 これはイエス・キリストが世にお生まれになることより遡って1000年ほどの昔のできごとです。その後も神様は「エフラタのベツレヘムよ」と呼びかけて、この地からイスラエルを治める者が現れるのだと預言者を通してお示しになりました(ミカ5:1)。


2.羊飼いたちへのお告げ
 ルカによる福音書には「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(8)と書かれておりまして、実に預言者がベツレヘムを訪れた日のダビデの姿を思わせます。そこへ預言者ではなく主の天使が現れて、羊飼いたちに御告げをしました。
 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」救い主というからどれほど立派な人かと思えば、なんと布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている赤ちゃんだというのです。

 「これがあなたがたへのしるしである」探しに行って、見てごらんと天使は羊飼いたちに告げました。そうこうしているうちに「突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った」というのですから、彼らはさぞかし驚き恐れたことでしょう。
 天使たちが去ると、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行こう」と誘い合って、急いでベツレヘムへと行きました。そこでマリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある赤ちゃん、イエス様を見つけることができたのです。

 彼らがベツレヘムに滞在しているマリアたちを訪れたことによって、その場にいた人々も生まれた子が救い主キリストであることを改めて聞くことになりました。かつて羊飼いダビデが油を注がれたベツレヘムで、1000年前と同じように神の言葉によってメシアが現れたのです。


3.キリストの降誕
 順を遡りますが、時は皇帝アウグストゥスの治世、世界史ではオクタウィアヌスとも知られております初代ローマ皇帝の時代です(1)。彼がユダヤを含む西アジア方面に手を着けたのは紀元前22年以降とされていますので、「全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」のもおよそその年代でしょう。
 「人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った」(3)とだけ読みますと、勅令が出たので直ちに登録をしようとユダヤ全土が大慌てだったようにも受け取れます。ところがイエス様のお生まれまでには10年以上もの隔たりがありますので、人々には過越祭などの巡礼と合わせて行き来をすることだけの猶予があったようにも考えられます。

 マリアのお腹にいる子が救い主であるとの御告げを受けたヨセフとしては、異邦人の地ガリラヤのナザレなどではなく由緒あるユダの地ベツレヘムで産ませたいという願いもあったでしょう。「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」ということになります(4)。 
 福音書の中でルカは降誕記事の一連として、ヨセフが過越祭には毎年都に上っていたことを明しています(41)。過越祭であれば月遅れで翌月に祝うことも認められておりましたから(民数9:9-14)、出産後にきよめの期間(レビ12:1-5)を満たしてからでも都の神殿へ奉献に行くには十分な日数を得られます。

 「彼らがベツレヘムにいるうちに」(6)とは直訳を試みましても「彼らがそこにいる間に」とありますから、文字通りヨセフとマリアがベツレヘムに滞在中であったことを示します。巡礼者や旅人のための部屋はお産ができるような場所ではありませんし、もしそこで出産をされては清めの期間が課せられてしまい宿としても困ってしまいます(レビ12章、15:19-23)。
 ところが当時「安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行く」(ルカ13:15)と言われているように、家畜については律法の義務が免れていました。「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(7)と証言から、母マリアも御子イエスも出産に携わった誰もが汚れの規定から免れたことが浮かびます。

 「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」(21)とモーセの律法と天使のお告げを全うし、「罪のない人」キリストとしてイエス様は世に現れました。そしてヨセフとその妻マリアもまた律法において「正しい人」でしたので、「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った」(22)のです。
 8日目の割礼の後に改めて清めの期間をルカは記していますから、更に33日間、ヨセフたちは延べ40日もベツレヘムに滞在したことになります。マタイが滞在先を「家」を呼んでいるように、誰か心ある人が住まいを提供してくれたようです(マタイ2:11)。

 こうして聖霊によって生まれた方が神と人とに愛されてこの世に迎えられました。キリストの降誕を覚え、キリストを信じて神の子とされた者は神と人を愛し、神と人ととに愛される恵みに与りましょう。


<結び>
 「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」(ローマ11:29)
 この世は移ろい、人の思いも変わります。しかし神の言葉と御愛とはたとえ1000年、2000年と時を経ても変わることがないのだと、ベツレヘムの羊飼いの姿が重なります。

 私たちも悩みや困難の淵に立たされた時、神も救いもないように感じてしまうことがあるでしょう。しかし神様はご自身が愛する者を決して見放さず、救いのご計画は必ず成るということを、私たちはベツレヘムの飼い葉桶の中に見いだすことができます。
 変わることのない神の御愛の現れとして世に生まれた方、イエス・キリストです。聖霊によって神の子が人としてお生まれになったように、この方を信じて聖霊を受けた者は誰でも神の子として新しく生まれるのです。

 既にキリストを信じている者はこの救いの日、キリストの降誕を喜び祝いましょう。これから信じようという方は、知らせを受けた羊飼いのように今日あなたのために救い主がお生まれになったことを信じましょう。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

コンテンツ

お知らせ