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「わたしたちが救われるべき名」使徒言行録4章1-12節

2023年6月18日
牧師 武石晃正

 皆さんはお名前をいくつ持っておられますでしょうか。「親から授かった名前一つだけだよ」という方もおありでしょうし、雅号や商号といったお仕事上の名前を別にもっておられる方もおいででしょう。
 家族や仲間内だけで通じる呼び名もあれば、言語が変われば書き文字ばかりでなく読みの発音も変わる場合もございます。それでも名前というものはその人の存在や同一性を示すものであり、その性格や性質を表すもの言えましょう。

 引き続き今週も使徒言行録を開いており、朗読の箇所を中心に「わたしたちが救われるべき名」と題して思いめぐらせて参りましょう。


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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

1.逮捕された使徒たち
 朗読の箇所は4章の始めではありますが、話の流れとしては3章から通しての一連であります。キリストの昇天の後もエルサレムに残っていた弟子たちが神殿や家々で祈りの生活を続けていた頃、12弟子のうちペトロとヨハネが連れ立って神殿の境内へ上ったことに端を発します(3:1)。
 ペトロは境内に入る門の前で物乞いをしていた生まれながら足の不自由な男と目を合わせると、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言ってその手を取りました。すると途端にこの男が躍り上がって2人の使徒たちについて行ったものですから、その様子を見た民衆が我を忘れるほどに驚いて彼らを取り囲んだのです。

 午後の祈りの時間は今でいうところの午後3時、そこから夕方までのたった1、2時間のうちに非常に大勢の人々がペトロを通して救い主メシアであるナザレの人イエスを信じるようになりました。「ソロモンの回廊」に囲まれた神殿境内の外庭は「異邦人の庭」と呼ばれておりますから、様々な国や地域から巡礼に来ていた人たちも話を聞きました。
 男性だけで5000人もの人々がイエス・キリストの福音を聞いて信じたのです。その場で信じて立ち去った人もあったとはいえ、それでも相当な数の民衆が境内に残って話を聞いたり議論したりしていたことになります。

 すると祭の中日でもないのにこれほど多くの民衆が境内に集まっているのは不審であると、神殿の祭司たちや神殿守衛長が様子を見にやって来ます(4:1)。サドカイ派はその多くがユダヤの祭司や貴族などでしたから、ローマから嫌疑をかけられるような目立った出来事には特に神経を尖らせていたようです。
 無断で民衆を集めた上に「イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えている」ので、この人たちはペトロとヨハネを危険視して直ちに捕えて牢に入れてしまいました。思えば「ソロモンの回廊」はイエス様が民衆に囲まれて石で打ち殺されかけた場所ですので(ヨハネ10:23)、雲行き一つで使徒たちにも命の危険が迫ります。

 捕らえられた二人が牢に入れられる一方、翌朝には早々とユダヤの最高議会の面々が召集されました(5)。夜通し取り調べられることはなかったものの、過越の祭の晩に捕らえられた主イエスと同様の状況であることは大祭司カイアファの名からも伺えます(6)。
 「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く」(ルカ21:12)と弟子たちに予告されたイエス様のお言葉を思い起こします。誰が最初に開口したのか「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問が始まりました。


2.権威と名について
 聖霊をいただいてキリストの名によって生かされる者は、キリストと同じ道を歩むことになります。「わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる」(マタイ24:9)と言われているからです。
 神殿の境内で福音を告げ知らせていた主イエスもまた「何の権威でこのようなことをしているのか」(ルカ20:2)と同じく迫害されました。神の霊に属する事柄を受け入れず理解できない人々はイエス様であろうとペトロたちであろうと、誰に対しても「その権威を与えたのはだれか」と自分のほうが権威者であると主張したのです。

 尋問をする大祭司たちは「何の権威によって」「だれの名によって」と矢継ぎ早にペトロたちを問い詰めました。当時のイスラエルは政治的にはローマ帝国に支配下にありましたが、自治が認められていた宗教的なことがらにおいての最高権威は大祭司の名にあったからです。
 大祭司の名よりも高い権威があるとすれば、それはエルサレム神殿で崇められている主なる神だけです。しかし人々が神に対して誓願をするにも、その担保となるいけにえを正当なものであると認めるのは神殿の権威すなわち大祭司の名によるのでした。

 たとえ神の名によって物事が行われるとしても、神殿において大祭司の権威を飛び越えて事が運ぶということはあってはならないことなのです。ですから大祭司の一族が集まったのは、「アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロ」(6)のどの大祭司の名においても境内で病人をいやすことを許可した覚えがないという証言のためです。
 殺気立っている権力者たちを相手に、癒しを行った権威について「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名による」とペトロは言い切りました。何十年も病や障がいに苦しむ人々を大祭司たちが助けることができなかったばかりでなく、罪人を赦して病人をいやした方を妬んだうえで自分たちの権威と名を守るために殺したではないかと突き付けたのです。

 たしかに神殿では病から快復した者が感謝のいけにえをささげたり、祭のたびに民衆が喜び祝ったりと、多くの人々が心の慰めや満たしを受けた場所ではあるのです。また、祭司たちの祈りや励ましの言葉によって助けを得た者たちも多いことでしょう。
 現代においても世の中には神と呼ばれるものどもは溢れており、心に平安な思いや悟りの心持ちを与える類のものも数知れずありましょう。しかしあなたの罪の身代わりとなって死んだだけでなくよみがえられた方はただ一人であり、死に打ち勝った救い主キリスト・イエスだけが魂ばかりでなく体をも癒すことのできるお方です。

 「ナザレの人、イエス・キリストの名」、これこそ私たちが救われるべき名であります。


3.いやし主キリスト
 死者の中からの復活について説いていたためにペトロとヨハネはサドカイ派の人々のいらだちを受けて逮捕されました。ところが尋問においては「病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということ」(9)が争点になっています。
 生まれながら足の不自由だった男が歩けるようになったのは「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(3:6)と命じられたからでした。彼は二度と神殿では物乞いができなくなることも承知の上で、キリストの名を受け入れて信じたのです。

 「イエスによる信仰が(略)この人を完全にいやしたのです」(3:16)とペトロは証言しましたが、主イエスが自身の名において「あなたの信仰があなたを救った」と宣言したことがありました(ルカ8:43-48)。それは12年も治療を受け続けた挙句に全財産を使い果たしてしまったという女性がナザレの人イエスを信じ、主の服の房に触れた時のことです。
 他にも聖書には信仰による癒しについていくつも記されておりますが、イエス様自身が神による癒しを救いの恵みのうちに置かれています。死に打ち勝ったキリストの救いが罪の赦しと魂のきよめに留まらず、復活の力をもって死ぬべき肉体をも癒しうるのです。

 主キリストの恵みにおける特別な癒しについて、ホーリネス信仰では「四重の福音」において「神癒」と呼ばれます。主が十字架で流された血潮による罪の贖いのように、飢え渇きを覚えて求めた者だけがその恵みに与ることができるのです。
 救い主、きよめ主、いやし主の名を持っておられる主イエス・キリストとその恵みをほめたたえます。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(コリント一1:18)


<結び>
 「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」(出エジプト15:26)

 かつてイスラエルの人々をエジプトの国、奴隷の家から救い出された神は、彼らを救い出したばかりでなく病からも守ってくださいました。病にかからないこと、健康であることも神癒の恵みであることを覚えます。
 キリストの霊がともに働かれるので、その名によって救いと癒しが起こります。ペトロを通して主キリストの癒しのみわざが行われ、目撃した多くの人々が信じて救われました。

 わたしたちが救われるべき名、ナザレの人イエス・キリストを信じる信仰がその人を救い、またいやすのです。
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12)

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