「神の民の選び」創世記12章1-9節
2023年11月12日
牧師 武石晃正
本日は子ども祝福礼拝として主日礼拝を献げております。朝9時からの教会学校においても出席した子どもたち一人ひとりに手を置いて祝福の祈りをいたしました。
日本の暦では5月5日が「こどもの日」として祝日法に定められており、この日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」(祝日法)との趣旨があります。キリスト教の中でも教派によって6月第2日曜日を「花の日」あるいは「子どもの日」としており、キリスト教学校でも「花の日礼拝」などの行事が行われます。
子ども祝福礼拝は教派や教会によってそれぞれに定めて行われており、日本古来の異教文化における「七五三詣で」に因み11月に行われることも多いようです。本日は子に孫について「わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」(創世13:15)との祝福を受けたアブラムについて創世記から朗読いたしまして、この箇所より「神の民の選び」と題してお話を進めて参りましょう。
a href="https://drive.google.com/file/d/11MsGY7HCf9n0L646n9XkR7bv-8EnQVTn/view?usp=sharing" target="_blank" title="「神の民の選び」PDF版">PDF版はこちら
(引用は「聖書 新共同訳」を使用)
牧師 武石晃正
本日は子ども祝福礼拝として主日礼拝を献げております。朝9時からの教会学校においても出席した子どもたち一人ひとりに手を置いて祝福の祈りをいたしました。
日本の暦では5月5日が「こどもの日」として祝日法に定められており、この日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」(祝日法)との趣旨があります。キリスト教の中でも教派によって6月第2日曜日を「花の日」あるいは「子どもの日」としており、キリスト教学校でも「花の日礼拝」などの行事が行われます。
子ども祝福礼拝は教派や教会によってそれぞれに定めて行われており、日本古来の異教文化における「七五三詣で」に因み11月に行われることも多いようです。本日は子に孫について「わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」(創世13:15)との祝福を受けたアブラムについて創世記から朗読いたしまして、この箇所より「神の民の選び」と題してお話を進めて参りましょう。
a href="https://drive.google.com/file/d/11MsGY7HCf9n0L646n9XkR7bv-8EnQVTn/view?usp=sharing" target="_blank" title="「神の民の選び」PDF版">PDF版はこちら
(引用は「聖書 新共同訳」を使用)
1.天地創造の神様
聖書を初めから全てたどるのは難しいので、かいつまみながらおさらいしてみましょう。「初めに、神が天地を創造された」(創世記1:1)と世界を神様がお創りになりました。
私たちが生きている世界が一つであるのですから創った方もお一人なのですが、世の中には「神様」と呼ばれたり拝まれたりするものが沢山あるのはなぜでしょう。「見よ、それは極めて良かった」(同1:31)と言われた世界で何も困ることはなかったのに、最初の人アダムとエバが「食べると必ず死んでしまう」(同2:17)と神様から禁じられていた木から実を食べてしまったことが事の始まりです。
必ず死んでしまうと言われていた木から食べてしまったので、アダムも子孫である人間すべても必ず死ぬことが定められました。それまでは何も心配せずに神様のところでいつまでも豊かに暮らすことができたのに、エデンの園から追い出されて厳しい世界で苦しみながら死んでいくのです。
死ぬと分かった以上は生きている間に思い通りの生き方をしたくなり、人々はどんどん身勝手になっていきました。アダムの子どもたちからその先はエデンの園を見たことも神様と会ったこともありませんので、「創造者である神様なんて知らない」といっては自分のお願い事を叶えてくれるような都合の良い神々を勝手に考え始めたのでしょう。
人間があまりにも自分勝手で悪いことばかりするようになると、世界を創られた神様はとても悔やまれました(同6:6)。そして世界をもう一度作り直そうとお考えになり、天地創造の始まりの時のように世界を水で覆うことにしたのです(同13)。
アダムの子孫である人間を全て滅ぼしてしまう代わりに、神を畏れる正しい人ノアとその家族だけが箱舟に乗って大水から助け出されました。箱舟に乗っていた8人と多くの動物たちは1年も続いた大洪水から助かりましたが、神様は「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」(8:21)とよく知っておられます。
世の中ではしばしば「子どもには罪がない」などと申しますが、聖書は人の心が幼いときから悪であると明らかにしています。ですから子どものうちから「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と繰り返し教えるよう、神様は私たちに命じられたのです(申命6:4-9)。
後にイエス様も大切な2つの戒めとしてこの「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命6:6)と「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ19:18)を挙げておられます(マタイ22:37-39)。私たち人間はアダムにおいて神に従わない悪い性質をもって生まれてきますが、イエス・キリストを信じることでノアのように罪の世から救い出されて神を愛し隣人を愛する者とされました。
2.旅立つアブラム
ノアの時代の後のこと、長い年月が経ちました。人間は世界中に増え広がり、民族の数だけ各々の神々を祀ったり呪(まじな)いや占いをしたりしていた時代のことです。
ユーフラテスという大きな川に沿ってとても豊かな土地がありました。あらゆる地域から人々が移り住んだので知恵と知識も豊かになりましたが、人々の心は天地を造られた神様から遠く離れておりました。
そこにアブラムという人が住んでおり、彼の父はテラという名の豪族でした。この人たちはもっと大きな土地を求めて西へ西へと引越しをすることにしました。
さて本日は子ども祝福礼拝ですので、ここからは挿絵の2,3を投影しながら進めて参りましょう(スライド1を投影)。ある日アブラムは生まれて初めて聞く声を聞きました。
その声はこのように言うのです。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」(創世12:1)
生まれ故郷にいた頃に聞いたのですが(使徒7:2-3)、この言葉はずっとアブラムの心の中に引っかかっていました。でもその時はまだ家族や父の家来たちと暮らしていましたし、周りの人たちも月や太陽を拝んでいるような人たちばかりでした。
人々の多くは空の月を神として拝んでおり、部族や家ごとに拝むための像やお守りなどを持っていた土地柄です。どこか今の日本にも通じるところがあるように思われます。
恐らくアブラムも子どもの頃は家族や地域の人たちと同じように月や星、人の手で造られたものを拝んでいたことでしょう。その中で世界を創られた神様のお言葉を聞いて、「人が作ったのではなく、世界を支配している本当の神様がいるに違いない」と知ったのです。
家族と一緒にハランという土地に移り住んでからアブラムはすっかり一人前になり、父テラはその地で亡くなりました(11:23)。そこで神様は再びアブラムに現れ、「父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい」(12:1)と命じられたのです。
父の家を離れるとは単に独り立ちをしなさいということではなく、それまでに頼りにしていた神々や占いを捨てなさいという意味です。聖書がなかった時代ですから、誰もまだ知らない方のお言葉だけに従って生きることをアブラムは心に決めました。
東の国から移り住んできた人たちを残し、アブラムが聞いた天の御言葉に従う人たちだけを連れて出発しました(4-5、スライド2を投影)。「わたしはあなたを大いなる国民にし(中略)地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る」(2-3)との約束だけを信じて。
初めて行く外国は知らないことばかりなのでとても不安です。たった何日かの旅行をするだけでも心配なことは考えればいくらでもあるわけですから、何百キロも歩いて移り住むということは生まれ変わるほどの覚悟です。
長い長い旅を続けると、ようやく神様が約束してくださった土地に到着です。そこで神様がアブラムに現れて「あなたの子孫にこの土地を与える」(7)と宣言されました。
やっとの思いで約束されていた物や欲しかった物を手に入れたとき、皆さんならまず何するでしょうか。「よくやったね、おめでとう」とお祝いをすることもありましょう。
頑張った自分と家族でお祝いしたい気持ちは山々でも、アブラムはこの場所へ来ることようにと命じてくださった神様にお礼をしたいと考えました(スライド3を投影)。お礼をして拝むと書いて礼拝と読むとおり、アブラムは礼拝をするための祭壇を建てました (7)。
アブラムの物語はまだまだ続くのですが、最初に神様からいただいた約束について振り返ってみましょう。「わたしが示す地に行きなさい」(1)という命令が「わたしはあなたを大いなる国民にし(略) 祝福の源となる」(2)とかかっています。
「あなたの子孫にこの土地を与える」(7)と言われたときアブラムは土地そのものを得ているのです。ですから子孫には大いなる国民すなわち神の民として選ばれること、そして祝福の源となることが残されています。
そもそもアブラムは異教徒の中で生まれ育ちました。生まれながらに神の民であったのではなく、主なる神様がアブラムを多くの民の中から選び出されて祝福されたのです。
キリスト者においても、前もって自分で「キリスト教の家に生まれよう」と選んで生まれてきた人はいないはずです。キリストの家に生まれた者であろうとアブラムのように異教の家に生まれた者であろうと、神様はご自分の民とするために一人ひとりを前もって知って選んでおられます。
私たちがキリストを信じるとか信じないとか決めたようでも、あなたを救うためにイエス様のほうから選んでくださいました。このことはイエス様が「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)とおっしゃるとおりです。
<結び>
「あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」(ガラテヤ3:29)
聖書の新約においては次のようにも書かれています。「ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して『子孫たちとに』とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この『子孫』とは、キリストのことです。」(ガラテヤ3:16)
実に主がアブラムに現れてから2000年ほど経ち、約束された子孫として御子イエス様が世にお生まれになりました。占いや神々に満ちた21世紀におけるこの国にあっても、かつてアブラムが天地を造られた神様の御声に従ったようにキリストを信じる者たちは「大いなる国民」としていただけます。
子ども祝福礼拝にあたり、すべての「子どもたち」へ使徒パウロの言葉から祝福をいたしましょう。神の民の選びによってアブラハムの子孫、神の子とされた人はみな暗闇ではなく光の中を生きるのです。
「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」(エフェソ5:8)