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「救い主が生まれた」ルカによる福音書2章1-21節

2023年12月24日
牧師 武石晃正

 メリークリスマス!救い主イエス・キリストのお生まれを覚えお慶び申し上げます。
 クリスマスイヴの日と日曜日が重なりまして、午前中の主日礼拝においてクリスマス礼拝を献げてから夕方にクリスマスイヴの集いが行われます。ご都合お時間が許される方は16:00の礼拝と音楽会にもおいでになって、是非ともご一緒にお祝いしましょう。

 感染症による制限のないクリスマスは実に4年ぶりであります。今年は礼拝堂の座席も増やし、子どもも大人も一緒のクリスマス礼拝を開くことができました。
 本日はルカによる福音書を開き、「救い主が生まれた」と題してイエス様のお生まれと羊飼いたちによる礼拝の出来事をたどりましょう。子どもたちも一緒の礼拝ですのでスライドを交えながら進めて参ります。
(説教原稿にはスライドの挿絵は掲載いたしませんのでご了承ください)


PDF版はこちら
(引用は「聖書 新共同訳」を使用)


1.イエス様のお生まれ
(スライド1、ヨセフ)
 今から2000年と少し前の遠いユダヤの国でのお話です。その時代、ローマ帝国という大きな国が小アジア半島からパレスチナ地方まで支配を及ぼしていました。
 「皇帝アウグストゥス」(1)とは歴史の教科書などでオクタウィアヌスとも知られているローマの初代皇帝です。彼は治めてる世界に秩序と平和をもたらすために「全領土の住民に、登録をせよとの勅令」を出し、税金と兵役を課しました。

 ユダヤはローマ帝国の属国としてある程度の自治を認められており、徴税はあっても兵役は免れておりました。それでも住民登録をしなければならないので、ヨセフとしては身重になったマリアのことでいろいろと思いめぐらせたことでしょう。
 住民の登録は本来であれば人々が実際に住んでいる町で行われるものでしたが、ユダヤの人たちは各々の先祖が所有していた土地と結び付けて血筋や系図を重んじていました。このことを良く知っていたヘロデという王様は、人々が住んでいる場所ではなく「登録するためにおのおの自分の町へ」(3)行くように計らいました。

(スライド2、ヨセフとマリアの旅)
 「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であった」(4)とありまして、普段はしながい大工だったとしてもこの時ばかりはユダヤの王家の末裔であることを公にできたでしょう。喜ばしく誇らしいはずなのですが住んでいたのはガリラヤの町ナザレ、ユダヤのベツレヘムからは100㎞以上も離れています。
 ヨセフたちは過越祭には毎年エルサレムへ上っていますから(2:41)、何事もなければ巡礼に併せて先祖の町を訪れることはさほど問題ではないでしょう。ところがこの年は天使のお告げを受けたマリアが身ごもっておりましたから、ヨセフも難儀するところです。

 二人の間でどんな相談をしたかはともかく、ヨセフは「正しい人」(マタイ1:19)と呼ばれるとおりユダヤの掟に忠実な人です。お産に関わるきよめの規定(21、22、レビ記12章)は念頭にあったでしょう、承知の上で遠縁の親類がいるベツレヘムへと向かいました。

(スライド3、生まれた赤ちゃん)
 もちろん里帰り出産のために旅をしたわけではないわけですが、「彼らがベツレヘムにいるうちに」マリアさんが産気づきました(6)。諸説あるようですがルカによる福音書を読む限りはヨセフたちが既にベツレヘムで宿を取って滞在していた中での出来事のようです。
 宿と申しましても2000年以上も昔のパレスチナですから風呂やシャワーはございませんので、出産に関する掟を満たす場所がなかったということです。聖書 新共同訳では「彼らの泊まる場所がなかった」(7)と訳されておりますが、ルカは泊まるという動詞は用いておらず「彼らの場所は客間にはなかった」と事実だけを記しています。

 こうして天使ガブリエルがマリアとヨセフに告げたとおり、マリアは男の子を産みました。ひっそり寂しくお生まれになったわけではなく、お産の手伝いや見舞いに来た人たちに囲まれ祝われていたことが17節から伺えます。


2.羊飼いたちによる礼拝
(スライド4、羊飼いたち)
 場面が変わりましてベツレヘムの町の外に広がる原野です。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(8)と一見のどかに思われます。
 ところが、中東の気候ですから緑が豊かな土地には既に作物が栽培されており、羊を放牧できるのは荒れ野のような場所に限られます。そしてこの羊飼いたちは常に野にいて家畜と一緒の暮らしをしていたので、きよめや祭などの掟を守ることが叶わない人たちです。

 律法の定めを守ることができないためにユダヤの血筋でありながら同国民の社会から外れてしまいます。「正しい人」と呼ばれるヨセフとは正反対の立場であり、ユダヤの人たちの中でも差別的に扱われていた羊飼いたちです。
 神の民の中に住むことができない身分が低い者たちのところへ、なんと「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした」(9)というのです。天使が現れただけでも驚くべきことですが、地の民と呼ばれる者たちへ神様は真っ先に救いの知らせを届けてくださいました。

 「恐れるな」(10)との呼びかけは旧約の預言者たちを通して救いの約束を語られた神様のお言葉のままですから(イザヤ40:9、エレミヤ46:27ほか)、正真正銘のお告げです。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(11)と天使は告げました。
 あまりにも急なことで気が動転しているであろう羊飼いたちへ天使はお生まれになった救い主について3つのしるしを与えました。ダビデの町で生まれるダビデの子孫であり、日本語訳では分かりにくいのですが「救い主」と男性であるということ、そして「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(12)ということです。

 「これがあなたがたへのしるしである」と天使が結ぶなり、にわかに天の大軍が現れて神を賛美しました(13)。「いと高きところには栄光、神にあれ」(14)と主のご降誕を祝う言葉は今や世界中でさまざまな讃美歌や祈祷書によって歌い継がれており、讃美歌21でも263番「あら野のはてに」の中で「グロリア インエクセルシスデオ」とくりかえし歌われます。


(スライド5、羊飼いと赤ちゃん)
 天使たちが天へ去っていくと「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」(15)と羊飼いたちは村へ向かいます。羊飼いたちはここかあそこかと家畜が繋がれているようなところを訪ね回り、とうとう「マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」(16)のです。
 荒れ野で天使のお告げを受けたとおりにベツレヘムで生まれた男の赤ちゃんが飼い葉桶に寝かされていましたから、羊飼いたちは大いに喜びました。町の外にいたはずの羊飼いがこのことを知っていたので、「聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」(18)わけです。

 マリアだけは「これらの出来事をすべて心に納めて」(19)思い巡らしていました。実に「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1:45)とマリアを祝福したエリサベトの言葉のとおりになりました。
お告げを聞いて信じた羊飼いたちはこの飼い葉桶の赤ちゃんを世界で最初に救い主として拝むことができました。

(スライド6、神をあがめた羊飼い)
 これがイエス・キリスト、私たちの救い主が世に来られた日の一部始終です。世界で最初のクリスマス、キリストのご降誕を覚えて献げる礼拝は「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだった」(20)と神をあがめ賛美した羊飼いたちによるものでした。
 普段は羊の番をするためにユダヤの祭はもとより町の中に入ることもままならない羊飼いたちでした。そんな彼らへ「あなたがたのために」と救い主が生まれたお告げがあったことは、彼らにとってどれほど喜ばしいことだったでしょうか。

 野宿で羊の番をする生活に戻っていくことになりますが、この羊飼いたちは自分のために天の神様が救い主をくださったことをしっかりと受け取って帰りました。今日ここで御言葉を聞いて信じるなら、イエスと名付けられた神の子キリストはあなたのために救い主となってくださいます。


<結び>
 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2:11)
 ダビデの町ベツレヘムでマリアが産んだ赤ちゃん、ナザレの大工ヨセフがイエスと名付けた男の子こそ救い主メシアです。信じるなら救い主はあなたのものとなるよ、救いはすぐそこにあるよ、と天使を通して神様は羊飼いたちを招いてくださいました。

 救い主が生まれたとの知らせを聞いたのですから、私たちもこの恵みを受け取りましょう。「あなたがたのため」と天使が羊飼いたちに告げたように、聖書の御言葉を聞く「あなた」と「わたし」と全ての人のために救い主イエス・キリストがお生まれになりました。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

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