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「異邦人による礼拝」マタイによる福音書2章1-12節

2023年12月31日
牧師 武石晃正

 2023年もいよいよ最後の1日を迎えました。大晦日の主日礼拝は2017年以来になりましょうか、そうであれば宇都宮上町教会の新会堂では初めてのことになります。
 先週はクリスマスイヴの日と主日が重なりまして、午前には主日礼拝においてクリスマス礼拝を献げました。夕方にはクリスマスイヴの集いを催しまして、午前と午後を併せますと延べ人数で100名近い方々がこの会堂でクリスマスを祝いました。

 本日は降誕日から週開けまして降誕節第1主日です。マタイによる福音書からキリストの降誕記事を朗読いたしまして、「異邦人による礼拝」と題して思いめぐらせましょう。


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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)


1.東の方から来た学者たち
 朗読いたしました聖書 新共同訳には話のひとまとまりごとに小見出しが付けられており、「占星術の学者たちが訪れる」と記されています。1節は他の翻訳を見ますと「東方の博士たちがエルサレムにやって来て」(1、聖書協会共同訳)とありまして、新共同訳では「占星術の」という一語を補った日本語になっています。
 カタカナで音訳するならマゴス(マギの複数形)が用いられており、星占いの研究者ではなく今でいうところの天体観測を含めた自然科学から歴史科学や社会科学まで広く修めた研究者です。ヘロデ王の時代にユダヤから見て東の遥かにはメソポタミアの世界があり、かつてはメディアとペルシアあるいはバビロニアという帝国が栄えた地域です。

 陸路にして1000㎞以上もありますので、遠路はるばる文字通り命がけの旅をしてきたことです。外国からの賓客としてヘロデ大王の宮殿を訪れるや、学者たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2)と言いました。
 やぶから棒あるいは寝耳に水とはまさにこのことで、「ユダヤ人の王」を名乗る者が生まれたとあれば寝首を搔かれる恐れをヘロデ王は抱くのです(3)。「エルサレムの人々も皆」とはエルサレムの住民すべてという意味ではなく、王の側近や官僚たちのことです。

 それにしてもはるか遠くのメソポタミアから、なぜローマの属国に成り下がった小国にまで学者たちは拝みに来ようとしたのでしょうか。その一因としては、500年以上も昔に彼らの土地へユダヤの人々が虜として連れて来られたことが挙げられます。
 バビロン捕囚として知られる出来事であり、ユダヤの人々が神の民でありながら安息年や解放の年さえも守らないほどに主の律法に背いたことによります(歴代誌下36:20-21)。それでも主は預言者エレミヤを遣わし、異国の地へ虜とされるユダヤの指導者たちに対して「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(エレミヤ29:7)と励まされました。

 ネブカドネツァル王がエルサレムから引いて行った人々の中にいたのが、当時少年だったダニエルと3人の仲間たちでした(ダニエル1:6)。バビロンの宮廷において主なる神は「獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し」(ヘブライ11:33-34)ダニエルたちを救い出されました。
 それゆえバビロンの王たちは勅令をもって「まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」(ダニエル3:29)「この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。この神は生ける神、世々にいまし」(同6:27)と書き送ったほどです。その後にペルシアの王キュロスによって捕囚から解放されてからもエステルやネヘミヤたちがユダヤ人の中から宮中へ召し上げられましたから、遠い東の国でもイスラエルの神の名が知られていたわけです。

 400年500年という年月と1000㎞もの隔たりを経て「ユダヤ人の王」の誕生を待ち望んでいた異邦人たちが拝みにやってきました。主なる神様は御子を世にお遣わしになる前からすべての国が救いを知り、地の果てに至るまですべての者が神を畏れ敬うことを御心としておられました(詩編67編)。
 

2.異邦人による礼拝
 預言者イザヤと同時代にミカという預言者が遣わされました。ミカを通して主は「エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」(ミカ5:1)と永遠の王が現れることをお告げになりました。
 「民の祭司長たちや律法学者たち」(4)であればそらんじて不思議はないのですが、都合のよくない預言や言い伝えはヘロデ王の耳に入れないようにしていたのでしょう。「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問いただされてはじめて「ユダヤのベツレヘムです」と答えました(5)。

 彼らは王が何かしら悪い事を企むのではないかと懸念したでしょう、案の定ヘロデは東から来た学者たちをひそかに呼び寄せました(7)。不穏な空気を感じつつも「見つかったら知らせてくれ」という王の言葉を聞いて学者たちが出かけると「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」(9)ということです。
 この「東方で見た星」については諸説ありますが、明らかなのはオリエントでは紀元前2000年頃から既に60進法が用いられたり天文学が発展したりしていたということです。一方その年代にはイスラエル民族はまだ生まれておらず、アブラハムの腰の中でした。

 ヘロデ王の時代にも高度な数学と天文学はユダヤ人の理解を超えるところでしょう。学者たちが天測などの技術をもって自分の位置と進むべき方角を定めたとしても、ユダヤの人たちが聞いて分かるよう「東方で見た星が先立って進み」と説明したのでしょう。
 もし学者たちが一つの特別な星を見て王の誕生を知ったのだとしても、はるか西のベツレヘムの上に輝いた星は数時間後には地平線へと沈んでいます。従ってその星が出エジプト記の雲の柱と火の柱のように学者たちを導いたというのは不自然でありましょう。

 長旅をしてきたのはユダヤ人たちにバビロンの数学や天文学を教えるためではなく「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を拝むためです。ですから旅路の説明も「東方で見た星が先立って進み」(9)という表現で十分だったのでしょう。
 天地創造の神がユダヤ人には律法と預言者の書を通して救いの約束をお示しになりましたが、異邦人である学者たちには輝く星々によって教えてくださったのです。「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」といよいよベツレヘムへとたどり着きました。

 どのような星を学者たちが見たのかについて興味が尽きませんが、たとえば太陽の次に近い恒星は約4.3光年(ケンタウルス座α星)ですから地上で観測しているのは4年も前に放たれた光です。冬の夜空に輝くオリオン座であれば、1等星のベテルギウスはおよそ640光年ですので600年以上も前の光が届いています。
 東の方で学者たちが観測したのが超新星のような天体だとすれば、それらは数千ないし数億光年も離れたところにあるのです。父なる神はイエス・キリストの誕生を異邦人に知らせるために何千年あるいは何億年も前から既に光を放っておられたことになりますから、なんと壮大なご計画であり偉大な御業でしょうか。

 「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」(11)とあることから、そこは飼い葉桶に寝かされた赤ちゃんがいる家畜小屋ではなかったことが分かります。ヨセフたちは「過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」(ルカ2:41)とルカが示すように、学者たちが訪れたのはイエス様がお生まれて次の過越の時期であろうと思われます。
 学者たちは本来であれば王宮に納めるために持参した宝を「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」へ贈り物として献げました(11)。「黄金、乳香、没薬」は非常に高価なものですが、東の方の高い技術よって精製された極めて純粋なものだったでしょう。

 飼い葉桶に寝かされていた幼子を救い主として礼拝したのは野宿をしていた羊飼いたちでした。東から来た学者たちは異邦人として世界で初めてこの方を救い主メシア「ユダヤ人の王」として礼拝しました。


<結び>
 「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28)

 星を見て救い主である「ユダヤ人の王」の誕生を知った時、東の国の学者たちとベツレヘムとの間には道のりにして1000㎞以上もの隔たりがありました。それでもふた月三月かかるとは言え、旅をするならば行き来をすることはあり得ることでした。
 ところが神がおられる天の御国と私たち罪人が住む地との間にはそれとは比べ物にならないほどの隔たりがあるのです。アダムが追放されたときエデンの園には天使ときらめく剣が置かれましたから、遡ってたどり着くことができたとしても人間のほうから神に近づくことなど許されていないのです。

 それでも神は世を愛してくださり、イスラエルを通してご自身を何度も示されました。そして時が満ち、すべての人を照らすまことの光として御子がお生まれになりました。
 この方が十字架にかかり私たちの罪を背負ってくださったので、キリストの救いを信じるなら神との隔たりが取り除かれます。異邦人による礼拝は最初にベツレヘムの幼子に献げられましたが、今や世界中でキリストの体である教会が救い主のお生まれを祝うのです。

 「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3:26-27)

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