新生体験
日本では、クリスマスに続いて、イースタ―も有名になってきました。ちなみに、近年では秋のハローウィンも行事として騒がれますが、これは2月のバレンタインデーと同じ類でしょう。聖書的には意味を見いだせないので、キリスト教国の文化による産物でしょう。イースターの後、50日が経ち、ペンテコステを迎えましたが、日本人には馴染みが薄い教会暦です。子どもにも解かる言い方としては、世界で最初の教会の誕生記念日ですが、教会の建物が次々と出来たわけではありません。教会と言えば、十字架が掲げられた建物を連想しますが、イエスをキリストとして信じる群が誕生したのです。
本日はペンテコステ礼拝であると同時に、ホーリネスの群の「四重の福音・強調月間」の第1週目です。ホーリネスと言えば、教派の一つですが、特に神による出来事が人に及んで体験させることを主眼としています。知識だけのキリスト教では、到底味わえない喜びへの導きです。本日は、ペトロの説教の結論に対し、人々が新しくされたいという飢え渇きを求め始めました。このペトロも大きく変えられた一人です。主イエスに最初に従っていた頃とは明らかに違います。P32 マタイ福音書16:21~23でのペトロは「救い主が殺されるなんて!」と本日の説教とは反対のことを言っています。それはサタンの働きによる妄言です。主は、ここでペトロを名指しで叱るのではなく、ペトロを惑わしているサタンに怒りを発しておられます。罪人は、サタンになびき易いのです。主に従っていたつもりのペトロは、サタンに従っていたことになります。主に直接、叱られたペトロは、古い自分です。ペトロは、聖霊を受けて新しくされました。これが新生体験です。ペトロ自身の性格が変わったというより、価値観の変化です。福音書に登場するペトロは、主の弟子でしたが、自分の正義感を大事にしていました。見える姿の主は、確かに奇跡を多く行い、カリスマ性がありました。神の権威によって御言葉を大胆に語られました。当時のユダヤ教の指導者とは明らかに違う主に「この人になら、ついていきたい」とペトロを始め、12弟子は生活を共にしたのです。従来の仕事を捨てた点では、主に献身していたわけです。考えてみると、主と弟子たちの人間的な関わりは、僅か3年でした。その貴重な短期間を福音書として聖書に記したのは、弟子たちが聖霊を受けて新生体験をした後です。そして、弟子達という呼び名から使徒たち(37節)という「神から遣わされた者」という立場になっています。これこそ、ペンテコステの力です。初代教会の誕生は、聖霊を受けて新生体験された人々の集いです。何より祈りが先立って、神が、その祈りに応えて下さった出来事です。