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異邦人への御計画

2017年09月03日
川崎 献一師
創世記25:12~18

人の目には大事とは思えなくても神の目からは大事な箇所が聖書には幾つもあります。と言うよりも、聖書は神の言葉なので、どうでもいい箇所は全くありません。聖書は系図を重んじます。出来事としては歴史ですが、人名が記されているという意味では、系図に記されている一人一人の魂とも言うべき名前です。そして、聖書は男性中心の目線のため、女性よりも男性の名前が圧倒的に多く記されています。 このテキストに当たった礼拝の日に教会では聖餐式があることも偶然ではなく、神の計らいでしょう。聖餐式は、本日のテーマに繋がるからです。つまり、旧約時代から見たら異邦人の私達が神の民とされたのは、イエス様の十字架による贖罪のおかげだからです。旧約時代は、イサクの子孫(更に、その次男のヤコブの子孫)以外は異邦人です。ユダヤ人こそ神の民という意識は、根強いものがあります。単なる仲間意識ではなく、他の民族とは違うという神の選民としての誇りは排他的になります。

<4年に一回、開かれるオリンピックは世界のスポーツの祭典です。自分の国の選手を応援するのは、当然の感情です。勝ったら素直に喜び、負けても相手の力を潔く認められたら健全なスポーツ精神に乗っとっています。中には、負けた悔しさから相手を恨むような人々もいるでしょう。残念な現実ですが、聖書が説く罪の性質の中には「妬み」という厄介なものがあります。

イシュマエルは、アブラハムの息子といっても「神の約束の子」ではありません。そもそも女奴隷の子は神の民には相応しくないのです。正義感がある人からは「聖書は人種差別をするのか!」と怒られそうな話ですが、なぜ奴隷が存在するのでしょうか?神が人の自由意志に任せたら、強い者が弱い者を奴隷にすることを人間の側が、どんどん進めてしまったのです。奴隷の必要性は強者の理屈です。

イシュマエルは女奴隷の子とはいえ、アブラハムの血も入っています。そして、地上的にはイシュマエルの子孫繁栄も神に約束されています。イシュマエルの息子も12人いて、これはアブラハムの約束の子イサクから生まれるヤコブの息子達からも、いずれイスラエルの12部族が出来ますが、同じ12という完全数になっています。この息子達の次男ケダルの子孫から預言者マホメッドが生まれます。つまり、イスラム教が誕生する起源が、この系図に隠されています。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ唯一神教でありながら一致は出来ません。やはり、イサクの子孫から生まれたイエス様を救い主として受け入れない以上は、本質的な和解にはなりません。ユダヤ教徒もイスラム教徒も神の子・イエス様を信じ罪を悔い改め洗礼を受けるなら、共に聖餐にも与れます。イエス様ご自身が真理の源だからです。旧約聖書も実はイエス様を証しするための預言の御言葉だからです。ユダヤ教徒たちは、それを頑なに否定しますが、同じユダヤ人の12弟子(死んだユダに代わってマッテヤ)は、その真理を信じて聖霊によって本日のテーマを福音として伝道しました。 その福音は、民族も男女の性別を始めとする様々な差別や偏見、また敵意も超えて主にあって一つとなるべくものです。イエス様は、そのために十字架上で、肉を引き裂かれ、血を流されたのですから、いつまでも神の御言葉に対し頑なに意地を張っていてはいけません。世界の真の意味での平和は、イエス様への贖罪信仰によってのみ、完成の道に進みます。

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