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天の故郷

2017年011月05日
川崎 献一師
ヘブライ人への手紙11:13~16

私達にとって故郷とは、心が和むものです。田舎で生まれ育った人が都会に憧れます。故郷を離れて、都の生活で挫折を体験し、故郷を慕うこともあります。逆に、都で成功した人でも、心の拠り所や自分の人生における原点としても故郷の存在は重んじられます。しかし、聖書では世の中での故郷より、世を越えた天の故郷に最大の価値があることを告げています。私達は、生まれる前のことは覚えていません。という言い方は変でしょうか?生まれる前は、母親の胎内に約10ケ月はいたとしても覚えている筈はありません。その胎内に宿る前は、存在していません。つまり無の状態です。聖書では、神は無から有を造られたと告げます。直接、神に造られたのは人類最初のアダムとエバだけです。その後は、どんな人物も父親と母親の間から神によって、まず胎内に命が造られています。神は見えない方なので、見える存在の父母という両親に造られたと錯覚する人もいますが、造って下さったのは神の意志によるものです。そして、何と私達のイエス様も、母マリアのお腹から生まれました。来月のクリスマスの出来事です。そして、この方の誕生のみ、天から降りて来られたと表現します。つまり、イエス・キリストこそ本日のテーマ「天の故郷」に実感が持てる唯一の人間なのです。

アブラハムも、最初から神を信じてはいませんでした。月の神という偶像を信じていた父親テラの子どもでした。そこに神が現れて人生が変わりました。その神に従っていく内に、地上ではよそ者扱いされていると思い始めます。真の神を信じている人々は殆どいなくて周りの人は、偶像の神々を信じています。現代の日本もそうでしょう。クリスチャンにとって、この世は仮住まい、一時的な居場所です。自分の家を持たず、アパートや借家、賃貸のマンション住まいの人は、地上的にも仮住まいを実感しているでしょう。でも、自分の土地や家など財産がある人も、亡くなったら死後の世界には持っていけません。只、遺族に財産を受け継がせても、その遺族も亡くなったら、次の代に継承ですか?キリがない話ですが、この世は永遠ではないのです。イエス様が、再臨されたら世は終わります。その時までは大事な財産ですが、やはり必要といえば13節にある信仰です。

ある末期癌の患者が言いました。「まだ、私は60才なんだから死にたくはない。でも、不思議と不安がない。そして、余命が1年なので東京オリンピックまで持ちそうもない。昔の私ならスポーツが大好きなので悔しくて仕方ないけど、洗礼を受けているからオリンピックの価値が色褪せて見える。」とのことです。東京といえば都ですが、本日の最後16節に書いてあります。「聖い都」と書いて「聖都」とも言います。聖徒の日の「聖徒」と響きが同じです。天の故郷が田舎ではなく、都というのは、時代を超えて大勢の人が天国にいるということです。旧約時代の真の神を信じた人々まで集まれば膨大な人数です。それは勿論、ラスベガスのような快楽的な都ではありません。罪と縁がない世界です。召天者は、「イエス・キリスト」と出会って本当に良かったと100%の感謝を献げられる喜びを天の故郷から見出します。 

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