聖化の時

2016年06月12日
川崎 献一
ヨハネの手紙3:1~3

聖化の神学は、誤解されやすく、人が神の如く清くはなれる筈がないと思う人は多いでしょう。でも、聖なる神を愛しているなら、いや、その前に神が御自身の作品である私達を、どんなに愛しているかと聖書は、迫ります。

私達は、鈍感で罪深い者です。人が神の作品であることを信じない人も多くいます。無神論者もいれば、自分中心に神を信じることも多くあります。そんな中で、クリスチャンは、『神の子』と呼ばれています。主イエスを信じることで、イエスの父なる神に、そう認められているのです。

神とイエスは、聖なる親子関係ということで、聖書では神には敬称を使います。御父、御子、神の心のことを御心と表現します。本当の神の子は、罪が全くない主イエスだけなのですが、主が罪人である私達の代わりに、十字架に掛けられたことを信じた人は、「神の子」、正確には『神の養子、養女』のような立場とされたのです。

神は、愛の交わりを望まれます。まず、神と人の関係、続いて人同士の関係です。人同士、例えば男女の恋愛関係で女が男にゾッコンに惚れた時「あなた色に染まりたい」という人もいました。愛する男性に従いたい、全てを捧げたいという健気(けなげ)な女性は、最近は少ないでしょうが、神には従い、献げるようにと勧められています。

クリスチャンも、神の子とされたからといって、自分が具体的にはどうなるかは、今は分かりません。でも、主イエスが、この世に再来される時に、クリスチャンは主の似姿とされます。前記の例えで言い換えるなら「イエス様色に染まる」ことが聖化です。主イエスが地上でどんな方だったかは、新約聖書の4つの福音書から読み取りましょう。

最後に「自分を清めます」とあるのは、自力では清められないため、聖なる神に祈り求めます。助け主なる見えない聖霊に満たされ続けることが必要です。

聖化されたクリスチャンは、「いつも喜び、絶えず祈り、万事に感謝」しています。数は、極めて少ないでしょうが、主イエスに似た人です。牧師が、主イエスに似た人なら、その教会は幸せです。牧師よりも主イエスに似た信徒が多い教会も、牧師に聖なる影響を与えることでしょう。

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