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「聖霊と信仰に満ちて」使徒言行録13章1-12節

2022年7月3日
牧師 武石晃正

 先日ある方より京都の和菓子について一つ教わりました。水無月というういろうのような生菓子があるそうですね、不勉強ゆえ初めてお聞きしました。伺った話では1年の折り返しとなる6月30日にこの水無月を食べ、上半期を振り返りつつ残る半年における互いの安全を願う風習があるとのことです。
 2022年の主日礼拝は本日より年の後半に入ります。夏の暑さも日増しに厳しさを覚えますが、今週も使徒言行録より厳しさ増しゆく迫害下にある使徒たちの働きから学んで参りましょう。

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1.バルナバとパウロ
 使徒言行録は福音書をも記したルカが筆を執っており、その宛先としてどちらもテオフィロという人物の名が記されています(1:1、ルカ1:3)。当時のローマ支配下において急に勢力が広まっていたキリスト者とあだ名される一派について、ルカは「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」と述べています。
 福音書においても使徒言行録においても、ルカは神と人との営みを生き生きと描きながら、出来事や人物について分かりやすくまとめました。しかもイエス様や使徒たちの説教の中に旧約聖書からの引用を織り交ぜることで、かつて異邦人と呼ばれる人であってもこの書簡を読めばイスラエルの契約や掟の基礎知識を得られるようにと工夫されています。

 ルカが記した二つの書の間における大きな違いの一つは、キリストと呼ばれるナザレ人イエスが弟子たちと同行していたか否かという点です。福音書の主役はもちろんイエス様ですが、使徒言行録においてはイエス様のかわりに聖霊がいつも弟子たちと共におられたことが繰り返し述べられています。
 「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と命じられた方は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されました(マタイ28:19-20)。そしてイエス様が直接任命された12弟子から、新たに使徒、預言者、福音宣教者、牧師などの教師へ役割と責任が分け与えられいきました。ちょうど一つのパンを裂いて分かち合う様のようです。

 サウロという人がおりました。彼は回心してパウロと名を改めましたが、かつてユダヤのラビの一人としてその熱心さから教会を迫害した者でした。キリストを信じて回心したとしても、教会としてはにわかには受け入れがたいものがありました。
 ところでもし私たちの教会へ誰かやってきて仲間に加わりたいと願い出たとして、「あなたはキリストを信じたのかもしれませんが、見ず知らずの人を受け入れることはできません」と私たちはその人に言うことがあるでしょうか。まず考え難いことではありますが、この時のサウロしばらくの間タルソスに退くことになりました。

 そこでアンティオキアに遣わされていたバルナバという教師が、サウロを捜しにタルソスへ行きました。ただ行っただけでなく見つけ出すまで探して、バルナバはサウロをアンティオキアの教会へ連れ帰りました(11:22-26)。
 こうしてバルナバとサウロは丸一年の間アンティオキアで一緒に宣教の働きに専念しました。このバルナバについてルカは「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と評価しています(24)。

 聖霊に満ちていた様子は、単に知識に偏らず内側から働く力によって忠実に教会に仕えている姿を示します。信仰とは、本人の個人的な熱意や他者による主観的評価によらず、いわゆる信仰告白に立つことを含むでしょう。これら両方を兼ね備えている者が主の働きに相応しい者であるのだと、ルカはバルナバを通して後の人々に示すところです。
 エルサレムの教会から十分に足る者として承認され、バルナバはアンティオキアへ派遣されました。正式な教師であるバルナバが連れて来て推薦したので、アンティオキアの教会はパウロを受け入れることができました。

 使徒的な教会はこのようなものであるとルカを通して聖霊が後代へと示すところです。そして教会の中で受け入れられるようになった頃、バルナバはサウロを伴ってユダヤへと遣わされたことが記されいます(11:30)。


2.地の果てに向けての出発
 飢饉に際してユダヤへ派遣されたバルナバとサウロがアンティオキアに戻ってきます。「そこの教会に」とアンティオキアの名だたる教師たちの名前をルカは記していますが(13:1)、彼らは恐らく普段は安息日ごとに各々の会堂で仕えている教師だったのでしょう。
 そこには「バルナバ、シメオン、ルキオ、マナエン、サウロなど」が「預言する者や教師たち」として紹介されています。この2つの職分について詳しく記されておりませんが、教会の交わりの中でキリストの福音を宣べ伝える者と、更にユダヤの会堂でも教えることができる正式な教師との区別のように思われます。
 思えばイエス様も安息日ごとに会堂で教えられていましたし(マルコ6:2)、弟子たちを2人1組で遣わされていました(同7)。アンティオキアにおいても主の弟子たちはバルナバとサウロという2人を選んで派遣しました。「聖霊が告げた」とあるように、そこには主イエス様のみこころがありました。人々が「二人の上に手を置いて出発させた」ことで、手を置いた人たちに代わって遣わされた人たちが神に受け入れられました。

 こうしてバルナバとサウロはアンティオキアの人たちから遣わされ、地中海に面したセレウキアから船に乗り、キプロス島経由でヨーロッパを目指すことになります(4)。助手として挙げられているヨハネはヨハネ・マルコ、福音書を記したマルコと知られています。
 ここから使徒パウロの第1回宣教旅行(巻末地図7参照)が始まります。イエス様が弟子たちに「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と委ねられたうち、いよいよ「地の果てに至る」のです。

 「聖霊によって送り出された」と記されることにより、ルカはこの働きが送り出した教会の手柄や利益のためではないことを弁明しています。ましてや派遣された2人の私利私欲のためではないことは、彼らが受けた試練を通して確かめられることになります。
 キプロス島のサラミスという町にはユダヤの会堂がいくつもあったようです(5)。ところがその町にはバルイエスという名の偽預言者である魔術師がおりました。バルとはユダヤの言葉で息子や子孫を意味しますが、イエスと聞くと私たちはイエス・キリストを真っ先に思い浮かべることでしょう。

 実は当時イエスという名はそれほど珍しいものではなく、ギリシャ語読みではイエスですが旧約聖書ではヨシュアと音訳されている名前と同じです。出エジプトの指導者モーセの従者であり、約束の地カナンを侵攻した勝利者ヨシュアです。
 あるいはバビロン捕囚からカナンの地へ帰還した民に神殿再建を指導した大祭司ヨシュアでしょうか。どちらをとっても異邦人に支配されている約束の地を信仰によって勝ち取った指導者の名前ですから、その名にあやかることは大いにあり得ることでしょう。ただしこのバルイエスは解放者ヨシュアの申し子としての名のほかに、ローマの人々の受けがよいエリマという魔術師らしい名乗りをしていたのです(8)。

 彼はローマの地方総督と縁故がありましたので、パウロたちは公権の息がかかった者たちと衝突することになりました。それでもパウロは「聖霊に満たされ」(9)大胆にも魔術師をにらみつけました。
 すると主は聖霊によってパウロに語らせた言葉のとおり、直ちにこの偽預言者の目から光を奪われました。この後も様々な困難や急な出来事に際して、神様が聖霊によってパウロを守り導かれたことを使徒言行録は記しています。後から振り返ってみた時に、あれは確かに聖霊の働きだったのだと知ることになるのです。

 さて偽預言者がパウロに打ち負かされてしまうと、なんとローマの地方総督が「この出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った」というのです。このことは誰の目からも驚きだったことでしょう。
 本来であれば到底かなわないような出来事を主は聖霊によって成し遂げられます。時に振り返って「聖霊に満たされた」とか「聖霊が告げた」としか言いようのない選択に迫られることもありました。

 パウロとバルナバによる福音宣教の旅はここから始まり、地の果てに向かって主キリストの体である教会が広がっていきます。バルナバばかりでなく彼らに手を置いて祈った人々もまた、聖霊と信仰に満たされて二人を遣わしたのでした。

<結び> 
 「総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。」(12)
 ローマの地方総督までもが信仰に導かれたことは当人としても大変な驚きでありましたが、異邦人が回心したことを見聞きしたユダヤの人々はまさかと思ったことでしょう。聖霊が働かれるとき、人智や常識の枠を超えて想定外の出来事が起こります。

 教会への迫害が強まる中で思いもよらぬ人が思いもよらぬところで主の教えを聞き、信仰に入りました。バルナバもパウロも聖霊と信仰に満たされていましたが、背後には彼らを遣わした教会の祈りがありました。
 一人一人はパウロほどの立派な人物ではないかもしれませんが、聖霊と信仰に満ちている教会を用いて主は今も救いのみわざをなすのです。私たちも聖霊と信仰に満たしていただき、今年も残る半年を主の恵みを受け継いで歩ませていただきましょう。

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