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「復活した主と歩く」ルカによる福音書24章13-35節

2023年4月16日
牧師 武石晃正

 教会暦では主の復活を祝うイースターから聖霊降臨を記念するペンテコステまでを復活節と数えます。救い主イエス・キリストの復活を仰ぎつつ、十字架による罪の贖いや主の弟子たちがつまずきから回復してゆく様を思い巡らせます。
 安息日に代表されるユダヤの律法について、その要求するところの贖いをキリストが十字架上で成し遂げられました。新しい契約は十字架で流された主の血によって有効になり(ヘブライ9:17)、主の復活によって明らかにされました。

 全能の父なる神が世に賜った独り子であるキリストを復活の主と仰ぎつつ、本日はルカによる福音書から「復活した主と歩く」と題して思いめぐらせて参りましょう。


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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

1.エマオへの道で
 ユダヤの指導者たちに捕らえられ、ローマの兵士らの手によって処刑されたナザレ人イエス、その遺体は安息日に入る日没前には墓に葬られました(23:53-54)。指導者を失った弟子集団は使徒と呼ばれる12人から1人を欠き、ガリラヤから従って来た女性たちも失意のうちに安息日を迎えました。
 弟子たちと申しますともっぱら12人を思い浮かべることが多いかと思われますが、イエス様はほかに72人を任命していました(10:1)。この人たちは福音書の中で脚光を浴びることはないものの、ルカは「最初から目撃して御言葉のために働いた人々」(1:1)あるいは「イエスを知っていたすべての人たち」(23:49)と言い含めています。

 さて本日の朗読箇所は聖書 新共同訳において「エマオで現れる」と小見出しがつけられています。エマオという町はエルサレムから60スタディオンすなわち約11㎞離れているとのことですから、この礼拝堂を起点にいたしますと北は中里町、南は雀宮あたりまで至ります。
 週の初めの日、2人の弟子がエルサレムからエマオへと向かっていました(13)。朝早くに空っぽの墓を見てきた女たちからの報告を受けた「十一人とほかの人皆」(9)のうちにいた者たちです。

 1人の名はクレオパ、もう一人の名は明かされておりませんが、かねてより2人ずつ遣わされていた相棒だと思われます。クレオパが前置きなく登場することから、ルカが福音書を記した当時すでに諸教会の中で広く知られた立役者だったことが分かるでしょう。
 この話を聞いた者たちの中には「あのクレオパ先生が仲間を置いて逃げ出したとは、到底信じられない」と感じた者もあったことでしょう。少なくとも11人と他の者たちがまだ都にいるにもかかわらずこの2人だけが旅に出たからです。

 逃げ出したと決めつけるのは申し訳ないところですが、道連れの者の問いかけに対して「二人は暗い顔をして立ち止まった」とあります。希望に満ちて宣教に出かけたわけではない様子がうかがえます。
 またエマオはエルサレムから西にあり、彼らがガリラヤへ帰る街道とは正反対の方角です。ヤッファやカイサリアといった港町がある海沿いの街道へと向かっていますので、旧約の預言者ヨナがニネベを嫌って逃げた姿に重なります(ヨナ1:3)。

 どんな話を論じ合っていたのでしょうか、イエス様のほうから近づいて彼らと一緒に歩き始められました(17)。イエス様は彼らがご自分の弟子であると知っておられたのですから、すぐに名乗ってくださればよいものをなんとお人が悪いことでしょう。
 愛する2人の弟子たちが立ち直り多くの豊かな働きをするために、イエス様はもっともよい方法で彼らにご自身の十字架と復活とをお示しになりました。エルサレムからエマオまで徒歩でおよそ3時間、「聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」(27)のです。

 道すがら聖書から説き明かしを受けること、賛美と祈りをもってパンを裂いていただくこと、これらはクレオパたちが3年もの間ずっとイエス様からいただいてきた恵みです。聖書の言葉と裂かれたパン、これこそナザレ人イエスの生きた証しなのです。
 目が開かれた二人は嬉しさのあまり直ちにエルサレムへととんぼ返りです(33)。街路灯などありませんので夕刻から日没までに10㎞余りもの道のりを一気に駆けて帰りました。そして仲間たちのもとに戻り、主の復活をともに喜びました。


2.開かれた目
 出来事としては「弟子集団から離れかけていた2人が復活したイエス様に出会い、目が開かれたので仲間の元へ戻ることができました。めでたし」とまとまる話です。掘り下げるといくつもの大切な教えが含まれていますので、ここではルカが対にして結んでいる事柄に焦点を当ててみましょう。
 16節に「二人の目は遮られていて」と発端があり、31節には「二人の目が開け」と括られます。人間の目あるいは視力というものは興味深いもので、その人の心の状態によってどんなに小さなものでも見落とすことがなかったり、反対に大きなものが視界に入っていても文字通り「目に入らない」ということが起こったりいたします。

 あるいは心の中にあるものが目から入った情報に影響するので、同じ物事を見たとしても人によって見え方が違うということもあります。時にはその人の心を占めているものが認識をすり替えてしまい、事実とは違うことを「見た」と確信することもあります。
 更には目ばかりでなく耳も同様で、確かに聞いたと本人は思っていても、その人の中で言葉や言い回しを変えて憶えている場合もあります。客観的に冷静に考えているつもりでも見たこと聞いたことそのものが主観や思い込みによって上書きされてしまうと、話の辻褄が合わずに他の人との意思疎通が難しくなるでしょう。

 話を戻しますと、クレオパたちは目で見て耳で聞いているのに同行者をイエス様だと認識できない状態にありました。「遺体を見つけずに戻って来ました。(中略)と告げたと言うのです」(33)「あの方は見当たりませんでした」(24)との言葉の端には、イエス様が死んでしまったのでメシアごっこはもう沢山だという2人の思いを感じます。
 見るに見かねて聞くに聞きかねて、イエス様は「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」(25)と口を開きます。正体を明かさないまま「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(26)と聖書から説き続けられました。

 エマオまで3時間たっぷりありましたから、聖書全体を通してメシアとしてのご自身についてイエス様は噛んで含めるように教えてくださいました(27)。これはクレオパたちが弟子として従っていた3年あまりの間、ガリラヤからユダヤを旅する中でいつもイエス様から受けていた方法でした。
 初めから手とわき腹とをお見せになったとしたらクレオパたちには一目瞭然だったでしょうか。目ばかりでなく心も遮られていたのであれば、目の当たりにしても真実を受け入れることは難しかったと考えられます。

 見たこと聞いたことではなく聖書の言葉に照らされてキリストの十字架と復活が確かめられました。道で話を聞き聖書の解き明かしを受けたことによって、イエス様であると分かる前から既にクレオパたちの心は燃えていたのです(32)。
 メシアは復活すると信じることができたので、2人の心はイエス様が生きているという事実を受け入れました。パンを取り賛美の祈りを唱える姿を正しく認知することができ、彼らはイエス様から裂かれたパンを渡されたのです(30)。

 疑ってかかる人や物事を決めつけて考える人は何を見ても自分が思った通りにしか認知できないので、目が遮られてイエス様を見ても分からないのです。人の話に耳を傾け、預言者の言葉を受け入れる者は、目が開かれて真実を見聞きできるのです。
 心と目が開かれた2人の弟子は仲間たちの交わりに戻ることができ、シモンの証しと主の復活の知らせをともに喜びました(34)。


<結び>
 「二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」(35)

 主の弟子たちはイエス様とともに旅をしていた頃、いつも聖書から説き明かしを受け、いつも祈りをもってパンを裂いていただいていました。普段から本物のイエス様と歩んでいだ人たちは、目が遮られた時でも復活した主と歩く中で聖書の解き明かしによって回復されました。
 そして復活した主と歩く者たちは、共に交わり、パンを裂き、熱心に祈るようになりました(使徒2:42)。使徒たちから始まった教会もまた、福音宣教と聖礼典を守り、愛のわざに励みつつ主の再び来れられることを待ち望むのです。

 私たちの目が遮られてしまうことがあっても、イエス様のほうから近づいてくださいます。独りで悩んでいたり自分だけが苦労したりしているように思うことがあったとしても、イエス様はクレオパたちにしてくださったように気づく時までずっと一緒に歩いてくださいます。
 「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」(黙示22:12)

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