ペトロから学ぶ
イエス様は、御自分を人々がどう思っているか気にされました。これは一般の人が自分をどう思っているか気にする次元とは違うでしょう。一般の人は、神の前では五十歩百歩です。全てが神からの賜物なのに、「自分には才能がある」とか「努力したから人とは違う」と誇るのは愚かなことです。神からの恵みの賜物と知らされた人は、自ずと謙虚にさせられます。イエス様は特別な方です。それも単なる預言者ではありません。周りの人々はイエス様のことを預言者として認めているに過ぎません。洗礼者ヨハネは、首を刎ねられて殺されましたが、イエス様に洗礼を授けた唯一の人ではあります。また、エリヤは旧約聖書の預言者で竜巻諸共、天に上げられた事実が神格化されていました。イエス様は、それらの意見を否定はされませんでしたが、敢えて弟子たちに問われました。そこで12弟子の代表であるペトロが答えました。「私も、偉大な預言者と思います」ではありません。預言者というのは惜しい答えかも知れませんが、正解ではありません。ペトロは正解を答えました。メシアとは神に油注がれた者、それも唯一無比の存在、救い主です。イエス様は、ここでも口止めをなさいました。救い主への人々の誤解を防ぐためです。誤解が生じるということは、神の御心と人の思いにはギャップがあります。多くの人々が思い描くメシアとは、植民地のユダヤ社会がローマの圧政から解放されることです。でも、神は政治的なことは表面的な現象であり、個人個人にある神の前での罪の問題を解決することこそ、メシア・イエスの最大の使命と思っておられます。